カテゴリ:長崎での小学生殺人事件
どう考えてもおかしい。
長崎の小学校で起こった同級生殺人事件で事件で、 かつてこんな意見がある日記であった。 >被害者の子にはほとんど怒りに近い感情を抱いてるし、 加害者の子には「よくやった!」とブラボゥを送ってしまう。 というものだ。 発言したのはこの人 どう考えても、こんな発言は問題だ。 これは「柔軟な意見」でもなんでもない。 単なる「殺人の賞賛、賛美」にしかならない。 何と言っても『殺人者に「よくやった!」とブラボゥ』だからね。 もし、こんな発言を被害者の家族が読んだらどう思うだろうか? そして悪口を言われた小学生がみんな相手を殺したら、 明日には小学生だけでも数万人殺されているだろう。 どうしてそうならないかと言えば、殺人がいけないことだと知っているからだ。 悪口がいいとは思わない。しかし悪口で人を殺すのは明らかに判断ミス。 他の方法を探すべきだ。少なくとも殺すことに答はない。 殺すことに意味を持たせるのは危険なことだ。 それでもこの発言の主は、 『「よくやった!」とブラボゥを送ってしまう』のだろうか? まるでオウムの考え方だ。狂っているとしか言えない。 「殺人と悪口」を同じに考えているいる人がこんな発言をするのだろう。 どうして殺人と名誉毀損が同じ罰を予定していないのか? この人の考えでは理解ができないだろう。 こんな意見がまかり通ってしまうのは、何かが間違っている。 この発言の主は、この発言を正当化しようとしているらしい。 困ったものだ。私はその「正当化」について最近知ってしまった。 一時はこの発言を「問題あり」だとして反省し、削除したはずなのに、 発言の主はそのことをもう忘れてしまったようだ。 私はもうこの話はやめようと思っていた。 しかしこんな暴言を正当化しようとしている人がいるなら、 はっきりと「それは違う!」と言わねばならない。 こうした発言はなくならないのだろうか? 追記 この暴言の主は集団自殺について日記でこんなことを書いている。 >いやもう、好きにやってくれ^^; みんながみんな、自分勝手に生きてるんだよ。 自分勝手に死んだっていいじゃないか。 それが集団だってネットで知り合った仲だって、そんなことどうでもいいじゃない。 彼らはどうして死に臨んだのか どうしてそこに考えが及ばない? 今度は自殺を「勝手に死んだっていいじゃないか」ときたか。 この発言の主は、目の前に今まさに自殺しようとしている人がいても、 「自分勝手に死んだっていいじゃないか」ということで止めないのだろうか? 素朴な疑問だ。 >死んだ人が死んでまで断罪されるのは哀しいことだと、どうして分かってもらえない。 彼らの死を、どうして悼んでやれない? 「殺してブラボー」と殺人者を賛美しているのに、 「死んだ人が死んでまで断罪されるのは哀しいことだ」 というのは自己矛盾ではないか? この人が「被害者の子にはほとんど怒りに近い感情を抱いてる」なら、 長崎の事件で殺された少女はこの人から「殺されてまで断罪」されている。 すでにこの人の論理は破綻している。 かわいそうに。 *現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。 トラックバックも受け付けています。もちろん削除もあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004.10.15 10:28:01
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