カテゴリ:読書
改めて思う。エーリッヒ・ケストナーは偉大な作家だ。
今日、「点子ちゃんとアントン」を読んだ。 今までにもケストナーの作品は読んでいた。しかもかなり前に。 「ふたりのロッテ」、「飛ぶ教室」、「エーミールと探偵たち」。 どれを読んでも現代に通用する。 日本でもっとケストナーは高く評価されるべきではないか。 私はそう考える。 以前、NHK-FMだったと思うがケストナーの特集番組があった。 ゲストは黒柳徹子。 黒柳は彼の作品でも「点子ちゃんとアントン」が一番好きだと語っていた。 今の私なら、彼女の言いたいことがよくわかる。 この作品は実にいろんな教訓が含まれている。 しかもその教訓をケストナー独特の皮肉で表現しているところが面白い。 ケストナーの作品は大人こそ読むべき。 「友情」「親子の関係」が彼の得意とするテーマ。 この作品でもこのテーマは実に上手く表現されている。 「たち止まって考えること」にあるケストナーの母親についての記述。 彼女は長編小説を読む時には最初の20ページくらいをまず読む。 そして最後を先に読んでしまう。 ケストナーはこの行為を「知りたがり」と批判する。 誰が考えても本は最初から最後まで通して読むようにできている。 じつはこの「知りたがり」についての文章を、私は小学校の頃から知っている。 なぜなら国語の教科書で引用されていたからだ。 でもそれがケストナーであるということは知らなかった。 教科書ではその文章を書いたのが「ある作家」という紹介だったからだと思う。 引用されていた文章も「点子ちゃんとアントン」という説明はまったくなかった。 今日初めてそれを知って私は驚いた。 もし、今日この本を読まなかったら。 私は死ぬまで「知りたがり」の文章を書いたのが彼であるということを知らなかったかもしれない。 私が今日読んだからこそそれがわかった。 人間、生きていれば何か発見があるものだ。 しかも私は唐突にこの本を今日読もうとした。 これこそ何かの「縁」だと思う。この世は不思議だ。 「飛ぶ教室」でそうだったように、点子はアントンを助ける。 アントンの家は貧しく、母親が病気になった。 そのためアントンは自分で料理を作る。 夜になると生活費のために金を稼ぐ。 それがために彼は勉強がおろそかになる。 アントンが通う学校の先生は彼の勉学態度に怒る。 そして母親にその旨の手紙を書こうとする。 母親が病気であることなど、先生が知るわけがない。 そこで点子はこの先生に直談判する。 知らなかったアントンの置かれている状況を点子から聞く先生。 点子はこうとどめを刺す。 「先生は何を知っているの?」 アントンの立場を知らず、ただ怒る。 ただ母親に手紙を書こうとしていた先生に、この言葉は厳しい。 だが点子もまた幸せではない。家庭に問題がある。 家は裕福でも父親は仕事で忙しい。 母親は点子の母であることを放棄してしまっている。 大きな家に住む点子は実は孤独だ。 アントンとは別な意味で幸福ではない。 逆にアントンは母親の誕生日を忘れる。 これが母と息子にとって大きな悲しみとなる。 それはまるでクリスマスを一緒に過ごせない家族を描いた「飛ぶ教室」に通じるものがある。 「家族が一緒に過ごす」という点では「ふたりのロッテ」もそうだった。 ケストナーはいつでも同じことを訴えつつ、読者を飽きさせない。 それはあまりにも基本的なことを書いているから。 いつの時代にも通じる、不足しがちなものだから。 私はそう思っている。 勇気についての記述も実にケストナーらしい。 実に皮肉を込めた書き方で勇気と蛮行の違いについて書いている。 「テロとの戦い」という名目で蛮行を繰り返すブッシュ大統領にこの文章を読ませたい。 ナチスドイツに著作を焼かれたケストナーの訴えは、このことでも現代に通じる。 見事と言うしかない。 *********************** 関連記事 『点子ちゃんとアントン』 エーリヒ・ケストナー 「点子ちゃんとアントン」エーリヒ・ケストナー 点子ちゃんとアントン (映画) 点子ちゃんとアントン ↑「点子ちゃんとアントン」は映画になっている。 この記事は映画について書いているもの。
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最終更新日
2006.10.29 20:52:14
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