274303 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

矢口竜二のブログ

矢口竜二のブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

蝦夷竜

蝦夷竜

Calendar

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

chisoku@ Re:思った事を言う(メールはあくまでも連絡事項と思っている・・・)(12/24) こんにちは 前回は初めてではなかったのに…
竜太6091@ Re[1]:思った事を言う(小さなケーキでも・・・・)(12/23) chisokuさんへ ブログ読んで頂き有難うご…
chisoku@ Re:思った事を言う(小さなケーキでも・・・・)(12/23) 初めまして、お邪魔します。 拝読し嬉しく…
竜太6091@ Re[1]:勝手な言い分(長いクダラナイ話)(04/18) chisoku さんへ ブログを読んで頂き有難う…

Freepage List

Headline News

2015.01.18
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
私がボランティア的行動を行ったのは、
30代後半であった。
前にも書いたが、私財で車いすの人達に
PCを教えたのが始まりである。

それは1年しか続かなかったのである。
私財が底を突いたからであるが、自分が食べる為には
働かなきゃならなくなった事もあったが、
生まれ故郷の函館では仕事が無く、
ある程度は働いて続けたが、それは無理があって
自分の食べる為に札幌に出た。

その頃は私に対しては「売名行為」等と言われたが
私が何かの為に自分の名前を売りたかったのなら分かるが、
その様な気持ちも無いのに、その様に言われ
傷ついた事があった。

確かに30年以上前であると、日本では、
その様な行為をする人は少なかったし、経済も潤っていたので
その様に感じる人も居たのであろう。

日本でのボランティア元年と言われる、
神戸の大震災から20年であるが、
その頃から日本人の考え方も、変わって来たのであろう。

それまでは多くの大災害が日本で起きてはいたが
他人事のような考え方が日本人の中にあったのかもしれない。

確かに自分なりに経験したり、その近辺で見たり聞いたりして
分かる人は居たが、そこから遠く離れている人は
実感が湧かないので、その苦しさが分からなかったと思う。

だが、神戸の場合は大都会での震災だった為に、
多くの人が見て分かり、マスコミも取り上げたので、
実感してボランティアが駆け付けた。

それでボランティア元年と言われるのかは分からないが
日本の教育では、あまりボランティア教育が成されていなかった。

それが大災害を目のあたりにして、ボランティア教育も行われ
それによって東日本などの災害にも、
多くのボランティアが駆け付けた部分があるが、
だが、それは短期的にはボランティアと思う人が多いので、
長期的にボランティアを行っている人たちに対しては
意外と冷たい言葉も飛び交うのが日本である。

災害を経験した人達は、その場が片付けば終りでは無い。
その人たちは心に深い傷を持っているのであり、
その傷を少しでも癒してやるためには、長い期間がかかるが
日本人は災害の周りが片付いたら、終わった感覚が抜け切れていない。
その為に、冷たい言葉が出るように思う。

日本人は基本的にボランティア精神が欠けている部分がある。
それは表面上だけの教育でボランティアを教えているからである。

政府も政治家、官僚も終結宣言的な言い方をするが
本来の復興は人の心が少しでも癒される状態になって
始めて復興の足がかりになった事を分かっていないのであろう。

同時に国民も同じである。
表面的な部分だけを見ている為に、
長期的にボランティアに行っている人達に
「まだ、行っているんだ」「過いね、そこまでやるんだ」
「そこまでやらなくても好いのじゃない」等と言う人もいる。

現実に私も、今だに被災地に行くが、私の住んでいる地域の人に
冷たい言葉を言われる事がある。

だが、それでも行くのはボランティア的な気持ちでは無く
被災地の人との交流と、その人たちの頑張っている姿に対して
微力ながら手伝えればと思う気持ちからである。

復興は私達が出来る事では無い。
地元の人達が頑張らなければ出来ない事であるが
それには被災者じゃない人の力も必要な時がある。
微力ながらもお手伝いをしいると、人と人の間に
何かの言い知れない物が生まれ出て来る。

同時に相手の悲しさや頑張りが見える事によって
互いの信頼関係が出来、そこには人としての味わいが出来る。

私は、それを大切にしたいから行くのであり、
人として学ばせて貰っている気持ちが
大切だから行き続けるだろう。

ボランティアとは、与える事では無い。
求めるものでもない、人と人の交わりをつくるものだと
私は思っているし、そこから学ぶものだと思っている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015.01.18 09:31:20
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.