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2015.06.01
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カテゴリ:カテゴリ未分類
早いもので、もう6月である。
早く感じるのは、自分の年齢とともに月日の経つのが
早く感じる。

6月は母の命日月なので、毎年函館に帰る。
今年も帰るが、母との思い出は、私の小学6年の
始めで止まっているが、母を思い出すと馬鹿が付くほど
お人好しな人だった。

今で言う天然であろう。
確かに良い所のお嬢さん育ちで、カトリックの女学校を出て
カトリック信者だったので、奉仕の精神が強かったのであろう。

母がカトリックなので、私も函館の元町カトリック教会で
幼児洗礼を受けている。

だから母に会いに行く時は、元町の教会に行く。
私は、洗礼名はあるが、幼児洗礼なので神を信じていないのか
純粋な気持ちで信じる事が出来ない。

困った時だけの神頼みで生きて来た。
母の死で、子供だった私の生き方が変わり、
神を信じる事を拒否して生きて来た部分が強いのであり、
母の死によって、神様なんて居ないと思っていたのであり、
自分は自分として生きて行かなければならないと
思っていたのである。

今考えると生意気な子供であった。
だが、それが別な部分で自分にとって良かった事が多かった。

自分なりに這い上がり、もがき苦しんだ分、
人の気持ちも分かる部分が、
多少なりとも出て来たと思っている。

そこには何時も母と過ごした思い出があり、
それが今の自分の生き方に影響していると思えるのである。

今、人との関わり合いを大切にしようと思うのは
母の姿を見ていたからだろうと思うし、微力ではあるが
人のお手伝いをしたり、海外での活動を出来たのは
母の影響があったからであると思っている。

私の家庭は母が働いて、私達兄妹を食べさせてくれた。
だから貧しかったが、その貧しさを見せないで母は
他の人を助けたりしていたが、別な部分で私達親子も助けられた。

母の行動は見返りを求めないのであるが、
そこには自然に、何かをもたらされていたように思う。

それが母の良いところだったと、最近自分で思う事が多い。
だから私も母の真似をして、見返りは考えていない。
勝手に自分でやって、自己満足しているだけだと思っている。

自己満足は自分の範囲内で行うものなので、
私の出来る範囲内で行動しているし、自分なりに
責任を持った行動を行えば良いと思っている。

その様に考えさせてくれたのは、母である。
6月は母の生まれて、私を生んでくれた所に帰って
もう一度私自身を振り返って見ようと思っている。





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Last updated  2015.06.01 08:06:49
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