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戦国時代、500の手勢で2万の敵軍を食い止めたという文句に惹かれて、映画館に足を運んだ。豊臣秀吉が全国制覇の仕上げに関東の北条氏を攻めたときの史実という触れ込みである。
物語の舞台、忍城は、現在の埼玉県行田市にあった。小田原北条氏の支城のひとつで、周りを河川で囲まれた堅固な城として有名で、成田氏が支配するようになってからは、幾度攻められても落城したことはない。 秀吉が制覇の仕上げに関東の北条を攻めたとき、忍城も石田光成の2万の軍勢に取り囲まれた。小田原に応援を出したため守兵はわずか500、本城も敵に囲まれており、どこからも応援はこない絶望的な状況である。城主は兵を率いて小田原に行っているので、最高指揮官は「のぼう」と呼ばれる、ちょっと頼りない城代家老成田長親(野村萬斎)である。「のぼう」というのは、領民が長親につけたあだ名で、「でくのぼう」を略したものなのだという。こんなんで大丈夫か? 500対2万、闘う前に勝負は見えていた。しかも敵は水攻めという手段に出た。城はさながら浮城のようなありさまとなった。こうなると打って出ることもできず、ただただ消耗の一途。こんな状況で長親はどのようにして敵と闘ったのだろうか。 忍城のエピソードは、300人で100万のペルシャ軍と闘ったスパルタを彷彿(ほうふつ)とさせる。スパルタ軍は全滅して名を残したが、忍城は残った。関東に20はあった北条方の支城は全滅したが長親だけは耐え抜くことができた。これはWikiにも掲載されている史実である。「どうやって?」と思われるだろうが、ここでネタ明かしはできぬ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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