朝日新聞朝刊 2015年5月1日の記事です。
原千晶さんは、摘出手術をして、つらい抗癌剤治療を乗りきり、今は経過観察です。逆に他の人の役にたてるよう患者会を立ち上げます。
患者会「よつばの会」の集まりで話す。患者同士のつながりに自身も救われた。
子宮体がんが見つかった原千晶さん(41)は2010年1月、子宮を摘出する手術を受けた。リンパ節にも転移しており、手術後に抗がん剤治療を始めた。2種類の抗がん剤の点滴を、3週間ごとに6回受けた。
初回の点滴から約3週間後、頭皮がピリピリと張る感じがした。浴室でお湯をかけた瞬間、髪の毛が一気に抜けた。
抗がん剤治療を重ねるたび、異なる副作用が出た。体に電気を流されているようなしびれ。ひどい便秘になったかと思えば下痢になる。よく眠れない。周囲に伝えづらい不快な感覚に苦しんだ。「がん患者になったんだな」。抗がん剤治療を受け、初めて実感した。
そんな中でも、テレビの通販番組の仕事を受けた。かつらをかぶり、つけまつげをしてカメラの前に立つと、「気持ちがシャキッとした」。病気のことを忘れることができた。体力的にはきつかったが、精神的な支えになった。5月半ば、抗がん剤治療を終えた。
その年の10月、ずっと支えてくれた恋人と結婚。がんで闘病していた事実とともに、公表した。原さんのブログには、がんの闘病を経験した女性たちから、コメントが書き込まれるようになった。
それが縁で11年7月、主に婦人科系のがん患者による「よつばの会」を立ち上げた。治療のことだけでなく、身近な話からほかでは言いづらい悩みまで共有できる場だ。自分にとっても力になった。
13年には、女性誌での連載をまとめた本を出版。闘病の記録だけでなく、心構え、治療と仕事の話、治療後の運動など、実践的な内容を盛り込むようにした。
今年、治療終了から5年がたつ。経過観察のために病院に行く回数も減る。だが、また再発・転移するかもしれない。その覚悟はいつも持っている。一方で、子どもを産みたいという願いが摘み取られ、「なぜ私なの」という気持ちにとらわれることは今もある。
二度のがん闘病を経験した30代。体のサインから目を背け、向き合おうとしなかった。「何でも人のせいにして生きていたのだと思う。自分の人生に責任を持ち、腹を据えて生きていこう」。闘病を経験して得たその思いが、今の生き方を支えている。
私ワルディーは後腹膜軟部肉腫が発覚したときは自然治癒は選択しませんでした。抗癌剤治療で腫瘍が小さくなったとき、それ以上の効果がないと判断されたときは、自然治癒を選択できないかも考えました。
しかし、粒子線治療に出会い、その治療を選択しました。正解かどうかは分かりません。目をそむけることなく、病気に真摯に向き合った結果の選択です。
「体のサインから目を背け、向き合おうとしなかった。」この言葉の重みはよく分かります。
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