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2015/05/12
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報

朝日新聞朝刊 2014年5月13日の記事です。 

 約1年前の「患者を生きる」からです。私の癌が発病したころの記事です。

男性の闘病体験をもとに、母親は2003年「やさしさの木の下で」(自由国民社)を書いた
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 今年4月、男性(32)は14年間の東京生活に区切りをつけ、山梨県北東部に妻を伴い戻ってきた。桃の花が咲き乱れる故郷で新たな勤め先をみつけ、実家の近くで暮らし始めた。「休日に90歳の祖父の種イモ洗いを手伝う。こんな生活も悪くない」と笑った。

 冬でもタンクトップで登校するほど元気な男の子だった。だが、小学1年生だった1989年12月、右ひじのあたりに腫れが見つかった。翌年1月、山梨県内の病院に入院、横紋筋肉腫(おうもんきんにくしゅ)と診断された。筋肉や脂肪など体の軟らかい部分にできるがんの一つで、7割の患者が10歳までに診断される。

 治療は抗がん剤で腕のがん組織を小さくした後、手術で切り取るという。医師は「がんの状況次第では、手術中に腕を切ることもある」と両親に説明した。

 手術日は1月下旬に決まり、中旬から抗がん剤治療も始まった。だが、両親は腕を切ることへのためらいが残っていた。腕を切らずに済む治療法はないか、書店や図書館を巡った。手に取った本に「がんの子どもを守る会」の名前があった。

 電話をすると、相談にのってくれた医師は「腕を切らずに済む治療法もある。東京に出てこられますか。医師を紹介します」と言った。数日後、両親が東京・築地の国立がん研究センターに行くと、すぐに入院を勧められた。

 山梨の病院では、男性が手術を翌日に控えていた。手術に備え、右腕の毛がそられた。両親は腹を決め、主治医に切り出した。「国立がんセンターに移ります」。医師は「何を今さら。新しい病院でまた一から検査だ。その間にがんが進行する」と気色ばんだ。だが、両親の気持ちは固かった。そんな様子をみていた看護師長が背中を押してくれた。「行きなさい。私がうまく言っておくから」

 「ここを出て東京に行くよ」。両親がバタバタと荷造りを始め、病院から連れ出されたのを男性は今も覚えている。東京での治療に望みを託し、家族を乗せた車は中央道をひた走った。

 男性はこの後、小学6年生の2月まで、がんセンターに入退院を繰り返すことになる。この時は、そんなことは想像もつかなかった。


 今なら、インターネットで、もっと簡単に幅広く情報を集められますが、1989年頃は本に頼るしかなかった時代ですね。この方は、基本的に一人の医者の言うことだけに頼らず、遠方の他の病院に転院されます。私の発病時と抗癌剤治療終了時にセカンドオピニオンを聞きにいった病院でもあります。「横紋筋肉腫」は私の罹っている「脂肪肉腫」と兄弟の癌種でもあります。


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最終更新日  2016/09/09 01:18:34 AM
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