朝日新聞朝刊 2014年5月17日
(原文は本名のようですが、ここでは仮名とさせていただきました。)
2001年9月、生後7カ月だった熊本市のK君(13)は眼球にできるがん「網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)」の放射線治療で、東京・築地の国立がん研究センターに1カ月間通院することになった。
K君と母Mさん(47)は、NPO「ファミリーハウス」の紹介で、東京都港区の魚籃寺(ぎょらんじ)境内にある闘病家族向けの宿泊施設「おさかなの家」に滞在しながら、がんセンターに通った。山田智之(やまだともゆき)住職が94年3月、一軒家を改修して開いた施設だ。
1泊千円。身の回りの日用品がそろっていて、近くのスーパーで野菜も買えた。「1カ月も滞在してすみません」とMさんが言うと、山田住職は「看病で1、2年いる方もいます」と言った。
台所には、10人ほどが座れる大きな食卓があった。Mさんはここで、病院から戻ってきたほかの母親たちと話し込んだ。ある母親は、センターからおさかなの家まで約6キロの距離を歩いて通っているという。高校生の息子の足にがんができ、予断を許さない状況だった。サッカーが得意だったという。「歩くことで何とか自分の気持ちを保っているのよ」。「誰もが助かるわけじゃない」。Mさんは厳しい現実を知った。
K君の左目のがんは抗がん剤と放射線治療で、右目もレーザーを当てる治療で効果が出た。1歳ごろには経過観察となり、年3~4回の検査で済むようになった。
K君は現在、熊本市内の中学校に通う。卓球部に入り、練習に励む。網膜の真ん中にがんがあったため左目の視力は0・04しかなく、右目で視力を補う。将来は、理学療法士になりたいという。
「自分は病気とともに生まれてきて、病気とともに生きてきた。だから、病気が自分の人生を妨げているとは思わないし、何かをあきらめたりもしない」
主治医の鈴木茂伸(すずきしげのぶ)・がんセンター眼腫瘍(しゅよう)科長には「年1回の経過観察で大丈夫」と言われている。ただ、再発や転移が心配で、検査するために年2回上京している。今はほかの宿泊施設にも滞在するが、機会を見つけて「おさかなの家」にも泊まってきた。
Mさんは言う。「食卓での夜の語り。あの時のことは忘れちゃいけないと思っています」
K君はいま13歳。熊本市内で勉強や卓球部の練習で忙しい毎日を送っています。
患者本人は入院すると、患者どうし自然とコミュニケ―ションをとるようになるが、患者の家族は孤独になるがちです。こういう施設があれば経済的な側面だけでなく、患者家族同士のコミュニケーションという点でもいいですね。
それにしても、K君、再発・転移の予断は許さないものの、抗癌剤治療と放射線治療で、部活までできるほど元気になってよかったですね。
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