朝日新聞2014年9月5日の記事です。
写真:治療の合間の外泊で友人とのひとときを過ごすCYさん(右)=2011年2月
(写真掲載は控えさせていただきました。)
長崎県・福江島の県立五島高校2年生だったCYさんは2011年2月、入院先の長崎大病院で昏睡(こんすい)状態に陥った。再発した小児がんの治療が順調に進みだした、と思った矢先だった。
脳を包む髄膜にがんが転移していた。「延命治療をしますか」。母Sさん(49)は当直の医師に聞かれた。突然のことに混乱した。主治医は「脳の転移はその後の経過がよくない」と両親に説明した。治療を終え、退院する選択肢もあると暗に告げた。
「もう治らないのだったら、そうはっきり言って欲しい」と思った。可能性があるなら治療を続けたい。でも、病院で終わりたくない。家族は2週間迷い続けた。
「島に連れて帰ろう」。それが、両親の出した答えだった。病院から100キロ離れた、福江島へ戻ることになった。
3月2日夜、父Tさん(51)は島にある「訪問看護ステーション福江」の柿森悦子(かきもりえつこ)さん(59)に相談した。島に小児科医はいるが往診はしていない。高齢者を中心に往診をしていた、内科医の宮崎昭行(みやざきてるゆき)さん(61)を2人で訪ねた。
宮崎さんは、子どもを診た経験はなかったが「家に帰りたいという思いに応えたい」と往診を24時間態勢で引き受けることにした。
3月14日、CYさんはベッドに横になったまま、酸素マスクを着けて長崎港から高速船に乗った。長崎大病院の医師が同伴し、1時間半かけて福江島に戻った。
港には家族や柿森さんらが待っていた。「ちーちゃん、お帰り」と声をかけると、CYさんはうっすらと目を開けて、小さくうなずいた。小学生だった弟は「病気が治っていないのに、なぜ帰ってくるの」と理解できなかった。
自宅の玄関を入ってすぐ右の部屋が、CYさんの部屋になった。帰宅した夜、家族みなでCYさんのベッドの近くで一緒に寝た。
ベッドの横にちゃぶ台を置いて、ご飯を食べるようになった。話が盛り上がると、CYさんにも「ねえ?」と話しかけた。
「行って来るけんねー!」。友人は登校前に家に立ち寄り、声をかけてくれた。
穏やかな日々が続くと思われた。しかし、3月末になると、呼吸は徐々に弱くなっていった。
(患者さんのお名前は頭文字とし、写真掲載も控えさせていただきました。)
私も高い再発のリスクをかかえています。粒子線治療で再発したら、切除手術はむつかしく抗癌剤が分子標的薬による延命治療しかないと言われています。副作用の影響が酷ければ、延命治療はやらないで、自宅で最期を迎えられたらいいなぁと思っています。
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