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2015/07/26
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」2014年10月23日の記事の記事です。


 東京の奥沢病院の院長だったM.M.さんは2012年4月、脳腫瘍(しゅよう)の手術を受けた。昔からの友人でコミュニケーション・ディレクターのN.Sさん(53)にこんな思いを相談した。

 「病気になって初めてわかったことがある。それを友人、知人、若い人に伝えたい。残したい」

 当時55歳。その思いはN.Sさんらの尽力で、9月21日、東京・目黒での講演会となって実現した。

 「僕は 確かに あなたと ここにいた」と題された講演会には、200人以上が集まった。スライドを使い、突然に健康な生活を奪われた思いを語っていく。

 〈死は一人で向き合うもの。死んでいくのは一人。これはものすごい孤独感〉

 〈もともと人生に失うものなんて何もない。人生は自分のもの。斜に構えるのは簡単だが、人生は肯定的に捉(とら)えるべき。人生には限りがある〉

 〈心配しないで大丈夫。だって生きてるじゃん! 「ここに生きている」 これで十分〉

 〈自分にとって幸せなのは普通の生活。朝起きてご飯を食べたらおいしい、といった普通のこと〉

 〈人生は泡沫(ほうまつ)。最後は消えてなくなる→だから「虚(むな)しい」のではなく、全て「ご縁」の中で生きていることに感謝する〉

 最後に、次世代を担う若者たちへ伝えたいことを四つあげた。(1)未来を信じて労を厭(いと)わない(2)迷ったらチャレンジすべき(3)ほとんどのことは何とかなる(4)善の力を信じてまっすぐものを見よう――

 講演会の後、知人らにメールを書き送った。〈講演会まで生きられれば、ありがたいと思っていました。伝えたいことは、あの場で全部伝えました〉

 手術後も、奥沢病院で療養しながら、院長として、長く診てきた患者を診察した。再発を抑えようと、抗がん剤の化学療法、高圧酸素療法、放射線治療にも取り組んだ。体調はよかった。近所でラーメン、うなぎ、イタリア料理などを食べ歩いた。看護師の妻Nさん(55)が「がん患者で痛風の発作が出た人を初めて見た」とあきれるほど、食欲は旺盛だった。

 講演会から1年後、脳の別の部分に転移しているのがわかった。13年9月19日のことだった。


写真:2012年9月、東京都目黒区のパーシモンホールで講演会を開いた




(お名前は、頭文字表記に変更させていただきました。写真も掲載を控えさせていただきました。)


 私は粒子線治療を終え、普通なら再発を抑えるため化学療法をするところなのでしょうが、腎臓が片方しかなく、粒子線治療の副作用で腎不全になる可能性が大きいため、粒子線治療の主治医からは追加の抗癌剤治療は勧められないとのことでした。

 セカンドオピニオンでも同じような意見であったし、化学療法が再発防止にどこまで効果があるかも不明とのことだったので、追加化学療法は受けないことにしました。

 先日の経過観察の血液検査でCRP値が少し高くなりました。原発のときにCRP値が異常に高くなったので、同じことが起こっているのではないかと心配です。再発の恐怖とつき合っている毎日です。


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最終更新日  2018/09/07 08:33:01 AM
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