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2015/07/28
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」2014年10月25日の記事です。

 東京・O病院の院長だったM.Mさんは2013年12月31日、岩手県北上市へ2泊3日の旅に出発した。当時56歳。妻Nさん(55)の故郷だった。両親が暮らす実家で過ごした。

 13年9月に脳腫瘍(しゅよう)が再発し、病状はだんだん悪化していった。副院長だったK.Iさん(55)と、看護師でもあったNさんは旅行前、いざというときは救急車を呼んで近くの病院に飛び込む、と確認し合った。

 入院患者がいるため、毎年正月は病院がある東京で過ごしていた。自らの病気が進行しつつあった正月、妻の故郷に向かったのはなぜか。一人娘のNさんと東京で結婚したことに、感謝の思いを示したかったのかもしれない。

 2人は、昭和大医学部で知り合った。「今度、うちの医局に珍しく成績のいい人が入ってくるのよ」。友人に言われたNさんが期待していると、実に「かっこつけの、いやな男性」が現れた。

 「僕はできるんです、という感じなんです。英語が得意らしく、普段の会話に英語をはさんだりして」。そんな2人が、M.Mさんの言葉を借りると、「何人ものライバルに勝ち抜いて結婚した」。

 旅行から帰ると、M.Mさんの記憶力ががくんと落ち、足が急に弱くなった。今年1月、配膳を片づけようとして転んだ。「転ばないようにしたんだが、転ばないようにするにはどうしていいのか、わからなかったんだ」

 その言葉を聞いたK.Iさんは、かなり脳にきていると感じた。2月、意識が混濁するようになった。約3カ月後の5月10日、息を引き取った。

 1月下旬から寝たきりになったM.Mさんは、いつもNさんがそばにいることを求めた。娘3人がM.Mさんに聞いたことがある。

 「パパ、3人のなかで、誰が一番かわいいと思う?」

 「ママ」

 「3人のなかでよ」

 「N子」

 「それってママの名前でしょ」

 三女のSさん(24)は「最後の半年は、家族の絆や父への愛や尊敬の気持ちが高まった、かけがえのない時間でした」と話す。

 最後の最後に、M.Mさんは家族への「仕事」を果たした。


写真:M.Mさんの最後の誕生日。妻Nさんに好物のロールキャベツをつくってもらった=2014年2月15日




(お名前は、頭文字表記に変更させていただきました。写真掲載も控えさせていただきました。)


 私は再発のリスクが30%から50%。再発したら、早い死を迎えなければならないでしょう。

 今は、将来に向け自分がやりたいことをしながら、再発しても慌てなくてもいいように、実家の整理とか進めないといけないと思っていますが、再発したら、時間的にできることは限られます。

 今から、最低限これだけは家族のためにしないといけないということを考えておかないといけないのではないかと、この記事を読んで思いました。


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最終更新日  2018/09/10 12:48:23 AM
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