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2015/08/07
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
 朝日新聞「患者を生きる」の記事です。


 東京都江東区のがん研有明病院に勤める看護師のYSさん(27)は2010年4月、骨盤の左前部にできた骨肉腫を切除する手術を同病院で受けた。

 腫瘍(しゅよう)は他の臓器に広がっておらず、直腸などを傷つけずに済んだ。難手術を終え、整形外科の主治医、下地尚さん(51)は胸をなでおろした。人工肛門(こうもん)や人工膀胱(ぼうこう)をつけることにはならなかった。

 手術後は、太もも、お尻、股関節などの激痛で、動けなかった。

 看護師の言動に敏感になった。無言で病室に入られると、一声かけてほしいと思った。ナースコールで呼んだことを「申し訳ない」と感じる時もあった。逆に、ベッド周りの整理や下半身の処置で配慮してもらうと、うれしくて、頼もしく感じた。

 5月、車いすが使えるようになった。すぐに同じ階の泌尿器科病棟へ行った。「また一緒に仕事をやろう」と送り出してくれた同僚に会い、涙が出た。

 リハビリを始めた。手すりで支え、震える右足で何とか立った。左足は動かせなかった。理学療法士は「左足を上げて歩くのは難しいかもしれない。松葉杖での歩行を頑張りましょう」と言った。

 思いもよらなかった。歩行のことは手術前に説明を受けていたが、人工肛門などの可能性に気を取られ、頭に入っていなかった。

 歩けないのは、腫瘍とともに股関節などの一部や筋肉を切除した影響だった。傷口の感染症がおさまらず、人工股関節を入れて改善することも難しかった。「歩けなければ、看護師に戻れない」と思い、別の仕事を探し始めた。

 同じ5月。入院中に親しくなった同い年の女性患者が亡くなった。「私は病気で就職できないけれど、本当は資格を取って社会に出たい」「婦人科の気になることとか、整形の看護師さんに聞けたらいいよね」。彼女の言葉を思い出し、やっぱり看護師を続けたいという気持ちが強くなった。

 就業規則で定める休職の期限が近づいていた。7月、泌尿器科病棟の看護師長が病室に来た。「休職が続けば退職になってしまう。どうする?」

 「辞めたくないです」

 でも、自分に仕事がつとまるのか。声をあげて泣いた。


写真:入院生活を共に送った女性患者からもらった人形。ベッドサイドにいつも置いていた

3.jpg

(患者さんのお名前はイニシャル表記にさせていただきました。)


 ただでさえ体力や気力のいる看護師の仕事。私も看護師さんにはお世話になったのでよくわかります。松葉杖が必要な状態で看護師を続けたいという気持に頭がさがります。
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最終更新日  2018/09/20 06:34:30 AM
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