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2015/08/11
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
 朝日新聞 2014年12月23日の記事です。


 「患者を生きる 働く」には、約100通のお便りをいただきました。「読者編」では、卵巣の境界悪性腫瘍(しゅよう)を経験した、タレントの麻美ゆまさん(27)のシリーズに寄せられた声から紹介します。


 ●続けられる限り働こう

 子宮頸(けい)がんで抗がん剤治療を受け、今は経過観察中です。麻美さんと同じ抗がん剤を私も使いました。副作用のつらさが分かるからこそ、仕事と向き合った麻美さんの強さがよく分かります。

 2週間前、職場復帰しました。満員電車に揺られ、毎日職場に通っています。ウィッグ(かつら)をかぶっていますが、気づいた人がヒソヒソ話すのをよく見ます。職場で温かい言葉をもらう一方、がんの部位が部位なだけに、心ない言葉をかけられることもあります。精神力も鍛えられる日々です。

 専業主婦になることも考えました。家族のためだけに時間を使おうか、と。でも病気が理由なら、これからの人生が余生になってしまう。悲しくなりました。ある程度、理解のある会社でも働けている。家族も理解がある。ならば、がん患者でも、続けられる限りは働こうと思いました。働くからにはきちんと働くし、朝晩は家族のための仕事もあります。でも、これ以上は無理、と線引きすることが今は大切だと思っています。

 記事を読み、私もまだまだ頑張ろうと思いました。耐えることも、受け流すことも、あきらめることも、踏ん張ることも! そう思った人がいると、伝えてもらえたらうれしいです。

 (東京都 H.H 34歳)

 

 ●発病後、仕事の契約解除

 23歳で子宮内膜症、26歳で卵巣嚢腫(のうしゅ)の境界悪性により、左の卵巣を摘出、右の卵巣を部分的に切除しました。今は子宮頸(けい)がんの前がん症状で通院しています。

 卵巣摘出後、出産の可能性が低くなり、実父から「出来損ない」と言われ、派遣の仕事も契約を解除されました。明るい性格でしたが、度重なる婦人科系の病に、女性、妻、嫁として自信を失い、自殺未遂もしました。今は理解ある夫と娘と穏やかに暮らしています。親子関係や嫁の立場、病気と仕事との兼ね合いなど、今後の記事に興味があります。

 (千葉県 女性 38歳)


写真:友人が折ってくれた千羽鶴。入院生活を支えた=「麻美ゆまの再出発」編から

1.jpg


(投稿者のお名前はイニシャル表記に変更させていただきました。)


 私は粒子線治療を始めた段階で60歳になっていて、経済的にもなんとかやっていけそうだし、仕事は過去精いっぱいやってきたし、残り少ないかもしれない人生を、むしろ働かずにプライベートを充実させた生活をしたいと思い、会社を辞めました。

 経過観察にはいって3ヵ月。それでよかったと思っています。

 しかし、若くして発病された皆さんは、「働く」というこは経済的にも、生きていくモチベーションのためにも避けて通れない部分。世間の理解も含め、よりよい職場復帰ができるような環境整備が重要であることがよくわかりました。



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最終更新日  2018/09/20 06:32:45 AM
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