テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。
≪2015年6月16日の記事≫ 茨城県に住む会社員の女性(44)は2004年夏、検査で卵巣に異常が見つかった。きっかけは、職場の同僚との会話だった。 「婦人科へ行ったことある?」 当時33歳。生理の周期も順調で、それまで婦人科に行ったこともなかった。 「将来のためにも、一度くらいは受診した方がいいよ」。同僚に勧められ、茨城県つくば市の婦人科クリニックを受診した。 初めて仰向けのまま足を開く「内診台」に上がり、超音波検査を受けた。どこも悪いところはないはず。そう思っていた。しかし、診察室で向かい合った医師から、予想外の言葉を告げられた。 「右の卵巣が腫れて大きくなっています。筑波大学の病院に紹介状を書きますが、行けますか」 大学病院と聞いて、急に不安な気持ちがこみ上げてきた。 8月に筑波大病院を受診し、超音波検査を受けた。当時、産科・婦人科教授だった吉川裕之(よしかわひろゆき)さん(63)が検査の後に切り出した。「卵巣に腫瘍(しゅよう)があります。手術で組織を取って調べてみないとわからないけれど、形を見る限り、おそらく悪性だと思います」 頭の中が真っ白になった。返事もできず、涙が浮かんできた。 「これから病気と向き合わないといけない。あなた自身がしっかりしないと」。吉川さんは、静かに語りかけた。 卵巣の腫瘍は画像による検査だけでは確かな診断ができない。摘出した腫瘍の細胞を調べないと、良性か悪性かの見極めは難しい。 自宅へ帰る車の中では、音楽もかけなかった。涙でにじむ信号を必死に見て、ハンドルを切った。 「私、死んじゃうんだ」 自宅に戻ってパソコンで「卵巣がん」と検索してみた。「自覚症状がなく、わかった時には進行している」「予後が悪い」。目にとまるのは悪い情報ばかりだった。 ちょうど、アテネ五輪の最中だった。「次の北京五輪は見られないかもしれない」。テレビを見るたびに、そんな思いがよぎった。 結婚して子どもを授かる未来を、当たり前のように思い描いていた。「孫の顔を見せてあげられないかもしれない」。両親に病気のことを言えないまま、手術の日が決まった。 女性のおなかのMRI画像。中央の白い部分が腫れて大きくなった右の卵巣 卵巣がんも「自覚症状がなく、わかった時には進行している。」のですね。「がん」という病気の共通する怖さですね。 私はもとと腎盂癌で片方の腎臓を切除して3ヵ月に一度のCT検査を受けていたのに、分かったときには11センチの後腹膜腫瘍肉腫ができていました。疲れやすくなり、微熱が3週間くらい続いて病院に行って、検査を受けて発覚しました。 >「次の北京五輪は見られないかもしれない」 私のがん(後腹膜脂肪肉腫)が発覚したのは2014年7月。その前の年には2020年の東京五輪開催が決まっていました。小学生で東京五輪を見ていますので、一生に2回、日本での夏季五輪が見れると喜んでいたのですが、5年生存率の非常に低い「がん」にかかって、そのときは、「次の東京五輪は見れないだろう。」と思いました。 しかし、効果がないだろうと言われていた抗がん剤治療が効き、粒子線治療に出会い、今は「見れるかもしれない。」というところまで来ました。ぜひ、この目で東京五輪をみたいです。 よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 ___________________________________________________________________ 【関連カテゴリー記事一覧】 ◆がん治療情報 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16 ◆がん治療日記 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10 ◆がん治療振り返り http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/12/09 08:04:27 PM
コメント(0) | コメントを書く
[癌治療情報] カテゴリの最新記事
|
|