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2016/03/18
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。

≪2015年12月1日の記事≫ 

 今年8月、福島県いわき市のホール。東京都に住む音楽教師でテノール歌手のAYさん(44)の姿があった。血液がん患者の支援団体「血液情報広場・つばさ」などへの寄付を募るチャリティーリサイタルだ。AYさん自身も、血液のがん「多発性骨髄腫」の患者として闘病を続けている。

 2009年4月、中国上海市の日本人学校に赴任した。それまでは都内の小中学校で教えていたが、「一度は海外で仕事をしてみたい」と派遣研修に応募。研修期間は3年の予定だった。

 だが、上海に行ってすぐに体調を崩した。背中の痛みが続き、せきも止まらなくなった。妻のMさん(35)が作ってくれた夕食にもほとんど手をつけられず、すぐに寝てしまうような生活が続いた。

 生徒の前では、「弱ったところを見せられない」と気を張っていたが、「任期をまっとうできるんだろうか」と不安になった。

 テストの採点もできないほどに体調が悪化し、7月中旬、上海市内の総合病院を受診。X線撮影であばら骨が折れているのが見つかった。ただ、原因はわからず、7月末にCT検査を受けた。

 その結果、骨に細かい穴がポツポツと開いている「パンチドアウト」という状態になっていることがわかった。多発性骨髄腫の疑いがあるという。初めて聞く病名だった。日本に帰って血液内科を受診するよう勧められた。

 医師からは「がんは『早期発見、早期治療』をすれば治療成績はいい」と一般論として説明された。「たぶん大丈夫」。待合室にいたMさんに、そう声をかけた。しかし、自宅に戻り、ネットで調べてみて、血の気が引いた。「予後不良」「治癒は見込めない」といった言葉が並んでいた。

 すぐに帰国し、Mさんの実家の近くにある東海大学医学部付属八王子病院(東京都八王子市)の血液内科を受診することになった。初めて味わう死への恐怖。そして、「仕事を途中で投げ出すのは情けない」とも感じた。

 妻のMさんに対しても、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 「結婚して1年もたたないのに、がん患者の妻にしてしまってすまない……」









 私は二度の海外赴任を経験しました。ドイツ、アメリカ、両方とも所謂先進国です。それでも、体調不良のとき、医者になかなか行きませんでした。制度がよく分からない、言葉の問題などなどで、なかなか気軽には医者にはいけませんでした。

 家内は、体調不良があったにもかかわらず、医者には半年くらい行かず、これは駄目だと思って診てもらったら、子宮筋腫でした。すぐに入院して、手術を受けましたが、幸い赴任して3年目くらいだったので、私も家内もパニックにならずに済み、手術もうまくいきました。

 この矢萩さんも、やはり海外ということで、切羽詰まるまで医者に行かなかったのかもしれません。


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最終更新日  2019/03/06 07:32:01 AM
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