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2016/04/05
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。

≪2016年1月5日の記事≫ 

 「検査の結果、右胸のしこりは悪性でした。手術が必要ですね」

 東京都杉並区に住む会社員の女性(49)は2011年12月、JR東京総合病院(東京都渋谷区)で医師から乳がんを告知された。

 東京都内の自動車販売会社で派遣社員として働き始めたばかり。真っ先に頭に浮かんだのは、「仕事を続けられるだろうか?」という不安だった。

 両親はすでに他界し、石川県にいる妹(47)と弟(43)は、それぞれ家庭をもっている。女性はずっと独身の「おひとりさま」として暮らしてきた。

 会社に病状を伝え、仕事は継続できることになった。しかし、その数日後、職場のトイレで吐き気やめまいなどで歩くこともままならない状態になり、救急車で病院に運ばれた。

 幸い翌日には体調が戻り、出社すると、自分の机の上に見慣れない紙袋があった。中身は、私物のマグカップや筆記具などだった。

 「わたし、クビなんですか?」

 不安は的中した。

 「がん患者は体力がもたないから仕事は無理だろう。すでに後任を選考している」。職場の上司から、そう告げられた。派遣社員の仕事は、やめざるを得なかった。

 「好き好んで病気になったわけではないのに……」。悔しい気持ちと同時に「がん患者は世間からそうみられるのか」と思った。

 乳がんの進行度は「ステージ1」だったが、MRIなどの検査をしたところ、右の乳房に病変が広がっていた。同病院乳腺外科の尾身葉子(おみようこ)医師(41)から「(右の)乳房の4分の1を切除する必要があります」と治療方針を伝えられた。

 翌年1月、手術を受けるために入院。石川県から妹が駆けつけてくれた。手術は無事に終わり、他の部位への転移もなかった。

 同じ時期に入院した他の患者には、家族がずっと付き添っていた。一方、手術後すぐに妹は石川県に帰り、約10日間の入院中に見舞いに来てくれたのは友人ら2人だけ。寂しさは感じなかったが、仕事を失い、焦燥感が募った。

 「退院後に、仕事はすぐに見つかるだろうか」。そのことばかり考えていた。


「元気に見えても辛いカラダがあります」と書かれたバッジ。治療中、かばんにつけていた
1.jpg



>「がん患者は体力がもたないから仕事は無理だろう。すでに後任を選考している」

 私が「がん」になって会社を長期に休み始めると、後任が1ヵ月ぐらいで置かれました。治っても戻りにくいなという気持ちにになると同時に、ここは積極的に会社を辞めようという気持ちになりました。収入がガタ減りしてでもやりたいことがあったので、病気がそれを後押ししてくれているのかなとも思いました。

 しかし、そいうい気持ちになれたのは、子供も独立していたし、健康保険の傷病手当が1年半は出るし、それをもらい終わったら61歳になり年金(特別分)がもらえるしということで、額はガタ減りますが、連続的な収入が保証されていたからです。タイミング的には非常に幸運でした。


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最終更新日  2019/03/13 03:51:49 PM
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