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2016/04/20
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。

≪2016年1月26日の記事≫ 

 愛媛県に住む40代の女性が左胸の乳がんを診断されたのは、2014年春だった。30代の時にも右胸に乳がんが見つかり、全摘手術を受けていた。

 「この年齢でまた乳がんになるなんて。やっぱり普通のがんじゃないんじゃないか」

 2度目の乳がんで、「アンジーの告白」の記憶がよみがえった。

 その前年の13年春、米女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが、乳がんを予防するために、未発症の両方の乳房を切除したことを公表した。

 ジョリーさんの母や叔母は、卵巣がんや乳がんで亡くなった。ジョリーさんは、遺伝子検査で「BRCA1」という遺伝子に変異が見つかり、乳がんや卵巣がんになる確率が高いことがわかった。それを理由に予防切除に踏み切っていた。

 この遺伝子変異による病気は「遺伝性乳がん・卵巣がん(HBOC)」と呼ばれ、「若年での乳がん発症」「両側の乳がん」というケースが多いとされる。

 女性も、遺伝性の乳がんの存在はインターネットや本で見て知ってはいた。30代で乳がんになったのは、「若年で発症」という特徴にはあてはまる。しかし、身内で乳がんになったのは、父方の祖母だけ。自分の乳がんを遺伝性と結びつけて考えたことはなかった。

 ジョリーさんが、まだがんができていない段階で乳房を切除したことは、当時、驚きを持って受け止められた。だが、すでに乳がんを経験していた女性には、その選択がすんなりと受け入れられた。最初の治療で、乳がんの苦しみが身に染みていたからだ。

 娘は幼く、女性は「なぜ私が」と泣いてばかりいた。手術後も化学療法の副作用に苦しみ、再発・転移の恐怖が消えなかった。それらをやっと乗り越えられたと感じていたところで、2度目の乳がんが見つかった。

 若くして発症し、両側の胸に乳がんができた。身内にはがんになった人が多くないとは言え、「遺伝性」を疑わざるをえなかった。

 「もう、目をそらしてはいけない」

 ジョリーさんの告白が、警告だったような気がした。


アンジェリーナ・ジョリーさんは、乳房に続き、卵巣・卵管も予防的に切除した=2014年撮影
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>2013年春、米女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが、乳がんを予防するために、
>未発症の両方の乳房を切除したことを公表した。

 このときは、私は腎盂癌で片方の腎臓を摘出した後でしたが、早期発見早期治療で、再発や転移のリスクも非常に小さかったし、経過観察で異常がなかったので、ほとんど「がん」についてのニュースを気にしておらず、このアンジーさんのニュースも記憶にありませんでした。

 しかし、アンジーさんが2015年3月に、卵巣の予防摘出を公表したときは、私がちょうど後腹膜軟部肉腫で粒子線治療を受けている最中で、非常に驚きました。その記事をブログにもアップしています。

http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201503260004/



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最終更新日  2019/03/20 12:04:39 AM
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