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ワルディーの京都案内

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2016/05/19
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テーマ:京都。(6066)
2016年4月29日(金)(昭和の日)分です。

 「京都市全寺社巡り」の山科区7日目の第1回です。

 4月29日の「お散歩」カテゴリー記事から、その日の訪問先の概要を再掲します。


【この日の行程】

*10:15バス
*JR桂川駅
*JR山科駅

+歩きスタート11:00
・ダンジョ水
・護国寺
・西念寺
・旧大野木家住宅(登録有形文化財)
・三条大橋・旧渋谷道 道標
・志賀直哉旧居跡碑
・牛尾山法厳寺道標
・清水寺奥之院牛尾山道 道標
・蓮如上人南殿御旧地・両御坊道
・若宮八幡宮
・蓮如上人御指図の井戸
・光照寺
・蓮如上人南殿御舊地碑
・蓮如上人御塚道 道標
・史跡 山科本願寺南殿跡 付山科本願寺土塁跡 石碑
・法厳寺
・宇治道・大津道 道標(再訪)
・皇塚(再訪)
・妙見宮 道標
・餃子の王将 京都東インター店(昼食)
・本門仏立宗日風寺山科別院
・実如・証如墓
・眞光寺
・仏光寺旧址
・白龍山西雲寺
・熊谷蓮心表徳碑
・三之宮神社
・西楽寺
・法教寺
・吉川邸(景観重要建造物)
・ゆうなぎの水
・山科区誕生記念碑

*15:50地下鉄椥辻駅
*地下鉄四条駅
*阪急烏丸駅
*阪急桂駅 
*バス
*自宅17:00




下記に訪問スポットをプロットしました


https://drive.google.com/open?id=1NjttlTaOIQLc0JrKBgvrm4BlYr0&usp=sharing


山科区の歩き部分(約13km)(自宅からの全歩数は約18,000歩)
20160429-山科#7.jpg


=============================

JR山科駅を南に向かい、三条通から府道171号線を南に入ってしばく行くと「だんじょ水」があります。

 元禄期以前に村民の用水願望から護国寺の協力を得て工事され、昭和初期までの300年間、住民の生活用水として使われてきました。「だんじょ」とは「談所・壇所」だそうで、地域住民が水を汲みながら、お喋りに興じる交流の場となっていたみたいです。

P1070206.JPG



 三条通に戻ります。


護国寺(日蓮宗)

 寛永20年(1643)に法性院日勇聖人によって、開創された日蓮宗のお寺です。
また明治5年までの230年間、僧侶の修行興学道場である「山科檀林」として栄え、関西六檀林のひとつでした。

P1070208.JPG

P1070209.JPG



 外環三条を南に向かいます。


西念寺(浄土真宗大谷派)

P1070211.JPG



 一つ東の通りを南に向かいます。



旧大野木家住宅

 国登録有形文化財
 結婚式場「洛東迎賓館」となっています。この日も式があるようで準備中でした。

P1070213.JPG 

P1070212.JPG



 三条通に戻り少し東に向かいます。



三条大橋・旧渋谷道 道標
 [東] 右 三条大橋 左 旧渋谷道
 [西] 昭和六十三年秋 粟津□次郎

P1070214.JPG



 少し南の山科川支流沿いに志賀直哉旧跡碑があります志賀直哉(1883~1971)は,詩人竹内勝太郎(1894~1935)の紹介により,大正12(1924)年10月26日,粟田口三条から居をこの地に移し,同14年4月まで住まいしました。山科における体験をもとに「山科の記憶」「痴情」「晩秋」「瑣事」などの多くの作品が生まれました。
石碑には「山科の記憶」と刻まれ、傍の碑には、その一文が刻まれています。

P1070217.JPG

P1070215.JPG



 国道1号線を越え、東の小山に向かいます。過去に見逃していた道標です。


牛尾山法厳寺参詣道道標
 [南] 牛尾山法厳寺参詣道
 [北] 平成九年八月吉日建之

 比較的新しい建立です。新しい道が出来たので新たに建てたのか、過去からあり新しいのを建てたのかは不明です。

P1070218.JPG



 府道33号線を南西方向に向かい、国道1号線を越え音羽の地です。



清水寺奥之院牛尾山道【道標】

 [西]清水寺奥之院 牛尾山道
 [北]明和三丙戌年正月

P1070219.JPG



 その道標から西に向かいます。


蓮如上人南殿御旧地・両御坊道【道標】
 [北]蓮如上人南殿御旧地
   左 并両御坊みち
 [西]此みちたひ人の為しらす
 [東] 施主 音羽村□□六兵衛
 [南] 泉水山 光照寺

P1070220.JPG



 北に宮八幡宮があります。

 創祀は不明。天智天皇が志賀の都から山科郷へ巡幸を行った時、音羽の地に八幡神を勧請したのが始まりと伝えます。

P1070221.JPG

P1070222.JPG

P1070225.JPG



 境内には大津皇子粟津王の墓とされる2基の古墳があり、室町初期の宝篋印塔が現存します。大津皇子は天武天皇の第3皇子で、母の大田皇女は天智天皇の皇女。粟津王は粟津王は大津皇子と山辺皇女の第二子。大津皇子死後、粟津王はこの地に移り住み、土地の発展に力を注ぎました。音羽地域には粟津姓が多く、その末裔たちにより八幡宮境内の宝篋印塔が建てられたと伝わります。

P1070223.JPG



 トイレに行きたくなり、あわてて西へ向かい外環沿いの西友山科店へ駆け込み。

 西友はウォールマート傘下になってウォールマート流のシステムを導入したが、必ずしもうまくいっていない。この日トイレに行ったつでに、見た陳列も、確かに整然とした陳列で大量販売で安さを訴求をしているが、何かワクワク感がない。やはり日本人の感性には合わないのだと思う。



 横道にそれましたが、再び東に向かいます。

 発見に苦労しましたが、「蓮如上人御指図の井戸」です。云われはこうです。

昔より音羽の里に,行基菩薩の故事があって井戸水が出ない伝説がありました。
行基菩薩様が諸国行脚の時に立ち寄られ,里の女の人に水を求められたのですが,その女の人はお坊さんの身なりを見て,ばかにして水をさし上げなかったので,それ以後,この音羽の里では井戸水がでなくなったということです。
    
 延徳元年(1489年)蓮如上人南殿御隠居の折、弟子 龍玄をしたがえて御座され お杖にて御指図になったので 人々不審ながら 掘り下げますと清水が滾々と湧き出しこの音羽の里唯一の用水になったといわれています。これによって偏執の人々も少くなり里人も全て真宗門徒のなったと伝えられています。

P1070227.JPG



(続きます)

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最終更新日  2019/08/26 10:30:22 AM
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