読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。
記事が2007年と古いので、現在は状況が大きく変化している場合もありますので、ご容赦ください。
≪2007年5月20日の記事≫
余命6か月の母に、がんの告知をしないと決めたことには、その3年前、父を1年の闘病の末に、肺がんで亡くした経験も影響している。
「父は水産試験場長を務めた人で、自分は『技術屋』だと言って、物事を論理的に考えるタイプでした。でも、内面は繊細でした」
告知は、あまりにもあっさりと、まるで車の「あて逃げ」のように行われた。
「いきなりレントゲン写真を見せられて、『このテニスボール大のものが、がんですね』と告げられました。父は、人間としてスタイルを持った人でしたが、それでも、涙ろくなり、亡くなるまで、いろいろな治療法を試みました。母は治ると信じて看病をしていたのだと思いますが、最後には絶望を受け止めることになりました」
痛み止めのモルヒネを使っている時も、父は往診の医師が来る時には、ネクタイを締めて髪を整えさせた。そして亡くなる4日前まで、2階の寝室へ母に支えられて階段を上がった。母は半年で15キロやせた。
「母が、父と同じ経験を繰り返す。告知するのはむごいと思ったんです」
>自分は『技術屋』だと言って、物事を論理的に考えるタイプでした。
>でも、内面は繊細でした
>父は、人間としてスタイルを持った人でしたが、それでも、涙もろくなり、・・・
私も「技術屋」のはしくれでした。この秋吉さんのお父様と同じように、余命いくばくかと言われたとき、心が折れました。精神的ダメージを受けている、家内にも負担を与えてしまいました。
私の投稿では「再発したら余命いくばくもないので、受け止めて残された人生を有意義に過ごしたい。」と書いてはいますが、その場になったら実際どうなるか自分でも自信がありません。
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