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2016/07/01
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。

古い記事ですので、現在は状況が大きく変化している場合もありますので、ご容赦ください。


≪2010年8月12日の記事≫ 

[ランニング指導者 金哲彦さん]大腸がん(2)初めて死を意識 号泣

 2006年。新幹線のトイレで大量下血した翌日、不安が募り、知人の看護師に相談した。「すぐ検査を受けた方がいい」と近くの病院を紹介された。

 数日後、「たいしたことがなければ」と思いながら受けた内視鏡検査。ベッドに横になり、モニター画面で自分の腸内の映像を見ているとギョッとした。

 画面に、緑色とも茶色ともつかぬ妙な色で、いびつな形をしたモノが現れた。待合室で見た「これががん」というポスターの写真にそっくりだった。

 医師に恐る恐る「もしかして……」と尋ねると「ええ、がんですね」と告げられた。当時42歳。若いだけに進行が速いとみられ、開腹手術が必要との診断だった。

 妻は冷静に受け止め、「先生の言うことをきちんと聞かなきゃね」と励ましてくれた。しかし、九州の実家に電話で伝えたときは「どうして……」と取り乱す母の涙声を聞き、思わず自分も涙が出た。

 「初めて死を意識した衝撃と、母を悲しませたことで心が乱れた」。受話器を置いた後、2階の自室で10分ほど思い切り号泣した。

 その後、なぜか自転車に乗り、近所を猛スピードで走り回った。「くそ、死んでたまるか。ちくしょう」。ぶつぶつ独り言を言いながら30~40分こぎ続け、くたくたになって家に戻ると少し気持ちが落ち着いていた。数日後、手術に臨んだ。



2.jpg


>九州の実家に電話で伝えたときは「どうして……」と取り乱す母の涙声を聞き、
>思わず自分も涙が出た。

 やはり「がん」と聞くと不治の病というイメージが先行してしまいます。昔は確かにそうででしたが、今は医療が発達したり、早期発見の率が高くなって、「不治の病」とは言えない状況になっています。この辺の状況、世の中にうまく伝わるようになればいいなと思います。


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最終更新日  2019/04/09 08:21:52 AM
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