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2016/08/04
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。

2014年の記事です。


≪2014年10月16日の記事≫ 

[俳優・歌手 黒沢年雄さん]8度のがん手術(2)一家の大黒柱 心折れそうにも


 母の死で、16歳の人生が一転した。父は母の高額な治療費を払ってきたので、蓄えを失い、学費を出せなくなった。プロを目指した野球もやめ、高校にも行かなくなった。やり場のない憤りで、地元・横浜の繁華街でけんかに明け暮れた。

 やりたい仕事を見つけるため、家出。東京から関西へ流れ、バンドボーイなどをした。数か月後、3人の弟たちが気になり横浜に戻ると、警察官に「お父さんが捜している」と言われて実家に帰された。

 放浪生活でたどり着いた将来の職業が、映画俳優だった。「演技の勉強に役立てようと、3年間にセールスマン、ドラマー、バーテンダーなど30以上の職業を経験しました」

 20歳で東宝のオーディションを受けた。真っ赤なジャンパーを着て、最終審査は5時間も遅刻。「目立つための作戦でした」。何万人もの応募者の中で、男優の合格者はただ一人だった。

 若者らしい力演から「黒豹ひょう」と呼ばれた。映画「日本のいちばん長い日」では、クーデターを画策し、自決する青年将校を演じた。しかし、映画の衰退で東宝時代は7年で終わった。

 それから3年は、仕事が途絶えた。父や弟たちの生活を支える大黒柱だったが、不安の重圧で心が折れそうになり、自宅から飛び降りようとした。母の最期の言葉「頼むよ……」が頭に浮かび、我に返った。


2.jpg



 病気になったときの年齢、病状、身体状況、環境だけでなく、病気するまでどう生きてきたかが、病気になったときどんな気持ちになるか、どう対処するかということに少なからず影響するということを、1回目、2回目の記事は言いたいのでしょうね。

 私は、この黒沢年雄さんのように波乱万丈ではありませんが、約35年間、それなりに山あり谷あり、楽しいことあり、苦しいことありのサラリーマン生活を送ってきて、やり切った感はありました。このやり切った感が、粒子線治療で社会復帰ができそうになったと分かったとき、サラリーマン生活には戻らず、別の道に向かう一要因になったと思います。

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最終更新日  2019/04/18 10:05:02 AM
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