テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。
≪2016年8月16日の記事≫ (患者を生きる:3116)肺がん 仲間と歩む フットサルで:2 服薬して7カ月、復帰戦へ フットサルチーム「湘南ベルマーレ」の選手、久光重貴さん(35)は2013年6月に肺腺がんと診断された。翌7月、治療先として選んだ神奈川県立がんセンター(横浜市)に入院した。 がんはすでにリンパ節に転移していた。呼吸器内科の主治医、斎藤春洋(さいとうはるひろ)さん(52)は、肺がんの分子標的薬のイレッサを使う治療計画を立てた。分子標的薬は、がん細胞の増殖にかかわる特定のたんぱくや遺伝子を狙い撃ちにする薬。イレッサは錠剤で、1日1回、空腹時に1錠飲む。 治療前の遺伝子検査で、がん細胞に変異があることがわかり、イレッサの高い効果が期待できた。重い副作用に備えるため、入院したまま服用を始めた。 10日ほどで退院したものの、自宅では副作用とみられる下痢や湿疹に悩まされた。唾液(だえき)が減って味覚も失われ、食欲がなく、全身の筋肉が落ちていった。それでも約2カ月後には、約3センチあったがんが半分程度まで小さくなった。 「いつまでも寝てばかりいられない。待っているサポーターのために『復活』しなければ」 ベッドから出て、10メートル、20メートル、30メートルと歩く距離をのばした。歩けるようになると、自宅近くの公園などで軽く走った。ボールをけり始めると「ボールってこんなに重かったかな」と驚いた。 練習で活用したのが、指先に付けて血液中の酸素量と脈拍数を測る「パルスオキシメーター」だ。どんな数値のときに、体の動きがよいのかを探った。 14年の年明けから少しずつチームの練習に参加した。「無理するな」と仲間から声をかけられた。どうしたらチームに貢献できるかだけを考えた。 練習を重ねるうちに、最大3分間は全力でプレーできる手応えをつかんだ。フットサルは前後半20分ずつの試合中に何度でも選手交代ができるため、「3分間のベストプレー」をどれだけ繰り返せるかが課題になった。 苦しいとき、頭に浮かぶのは入院直後にサポーターと交わした「必ず戻る」という約束だった。 服薬開始から約7カ月後の14年2月、ホームの小田原アリーナである最終戦で復帰することが決まった。 入院中、ベッドに横になっているときも、フットサルボールを足にはさんで感触を確かめた >10日ほどで退院したものの、自宅では副作用とみられる下痢や湿疹に悩まされた。 私の後腹膜軟部肉腫の最初の治療は抗がん剤治療でした。幸い、副作用で食欲不振や下痢になったのは、各クールの入院している間の5日間くらいで、それ以外は、普通に生活できました。白血球数が低下するので、感染症にならないよう外出は控えましたが。 見舞いに来ていただいた皆さんは、先入観で、もっと悲惨な状況と思っていたようで、結構元気なのに驚いていました。 脱毛もありましたが、全部抜けるということはありませんでした。自分では結構気にしていたのですが、もともとが既に薄かったので、皆さん「あまり変わりませんんやん。」と言っていただきました。嬉しいやら悲しいやら。 当然、薬の種類や濃度にもよりますが、同じ処方でも、個人差が大きいようです。 よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 ___________________________________________________________________ 【関連カテゴリー記事一覧】 ◆がん治療情報 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16 ◆がん治療日記 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10 ◆がん治療振り返り http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/04/23 09:19:41 AM
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