テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。
≪2016年9月26日の記事≫ (患者を生きる:3144)仲間と歩む 変えるために:1 乳がん、復職したものの 東京都内に住むSNさん(49)は、がん患者のために情報を発信するコンサルタントや講演などを担う会社「キャンサー・ソリューションズ」の社長だ。厚生労働省の「がん対策推進協議会」の委員も務める。乳がんと診断されたのは今から12年前、37歳のときだった。 都市計画プランナーとして設計事務所に勤めていた。公園緑地の整備や都市再開発を担当するチーフデザイナー。思い描いたデザインが形になることにやりがいを感じていた。しばしば顧客から「SNさんにお願いしたい」と指名された。朝から深夜まで働き、会社に泊まることもいとわなかった。 2004年、会社の健康診断で右胸にしこりが見つかった。病院で詳しい検査を受けた結果、乳がんとわかった。 「頭の中が真っ白になった」 手術と抗がん剤治療が必要と告げられ、まず「手術までに仕事の引き継ぎをしなければ」と思った。 職場に病気を報告し、同僚と一緒に顧客を回った。見慣れぬ同僚を連れてきた理由を顧客に聞かれると、「がんになりました」と説明した。 診断から1カ月近くたった7月末、都内の病院で右乳房の全摘手術を受けた。2週間後に退院。入院には有給休暇を使ったが、抗がん剤治療は9月から翌05年1月まで続くため、休職を選んだ。副作用で髪が抜け、4月に復職したときは帽子をかぶって出社した。 ホルモン剤治療が始まり、月1回は会社を休んで通院した。仕事と治療に追われる日々が続いた。「役職から降ろしてください」と上司に申し出た。それでも仕事の量は減らなかった。同僚が働いている中、1人だけ早く帰ることはできなかった。イラストや図面を作成するため、パソコンのマウスを何時間も操作していると右腕がむくみ、うまく動かせなくなった。手術の後遺症だった。 がんは再発するのか、するならいつなのか、わからなかった。数年単位で取り組む仕事が入ってきたが、責任を持てず辞退した。 「工程が立たない人間は困る」 上司に言われ、「それだったらやめます」と答えた。06年12月、会社を退職した。 まだまだ「がん」患者が働きやすい世の中にはなっていません。でも2人に1人は「がん」に罹る時代。特別な病気でもないし、医療の発達とともに、働きながらでも、治療に取り組めるということが、次第に理解されるようになってはきていると思います。 私は、2回目の「がん」に罹ったのが60歳直前(59歳)で、年金がもらえる直前でもあったし、子供たちも独立しており、ローンも残っておらず、働くということに関して、収入をあまり気にせず選択ができたのがラッキーでした。 もう少し詳しく書くと、私が2回目の「がん」後腹膜悪性腫瘍の罹ったのは、M社を57歳でリストラされ、再就職したN社に勤め始めてから1年2ヵ月めのとき。抗がん剤治療が長く続く予定だったので、すぐに後任が置かれました。一応復職を目標にしました。抗がん剤治療後、粒子線治療に出会い、復職も可能な状態だったのですが、前からの夢だった京都での観光ガイドの仕事をできるだけ早く始めたいと思うようになり、会社は辞めました。 今、ちょうど観光ガイドの仕事を始めたところです。4年早く、夢を実現できたのも、「がん」に罹ったおかげです。家族とともに苦しみましたが、そういう意味では、「がん」に感謝です。 よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 ___________________________________________________________________ 【関連カテゴリー記事一覧】 ◆がん治療情報 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16 ◆がん治療日記 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10 ◆がん治療振り返り http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/05/04 11:09:50 AM
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