669571 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

日本修練空手道 巧心會館

日本修練空手道 巧心會館

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

Y. Coyote

Y. Coyote

日記/記事の投稿

フリーページ

カレンダー

バックナンバー

2024年06月
2024年05月
2024年04月
2024年03月
2024年02月
2008年04月07日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日の‘手裏剣打ち’で思い出した、沖縄空手の先生が居ます。

およそ二十年近く前になりますか、ある仕事で沖縄に行った際、僕も空手を嗜むと言うことで、沖縄のある方が‘沖縄空手の先生’をご紹介下さいました。
その方はF先生といいまして、当時で七十代位だったと思います。
沖縄で鍼灸接骨院を営まれている傍ら、沖縄空手の指導と稽古に勤しんでおられるというのです。

F先生の空手は‘沖縄上地流’で、先生は「空手」よりも「唐手」にこだわりを持っておられました。
「自分が修行したころが、‘上地流唐手道’ってなってたからね…」
そう話して下さるF先生の顔は、とても優しく親しみが持てたものです。
が、しかし、「話してるのも何だし、稽古するっさね…」となったのですが、生憎僕はその時‘空手衣’を持っていってませんでした。
「良いっさ、上脱げば…」と先生。
取りあえず着ていたTシャツを脱ぐ僕。
「君、‘三戦(サンチン)の型’知ってる?」
「はい、先生と同じやり方かどうかは分かりませんが(流派によって微妙に違いがありますから)、‘三戦(サンチン)’と名のつく型は稽古しています」
「うん、だったら良いですよ、細かいとこはワシのを見てやれば…」

そして、F先生について‘三戦の型’を行うのですが、やはり微妙に動作や呼吸が違う。
それでなるべくF先生の型を盗もうと、必死になって動作を真似る。
するとF先生が「オ-ッ、その目だよ、その目を忘れちゃいかんよぉ。ブサーは‘虎の目’をもっとらんといかんですよ~」と言われる。
その時は‘三戦の型’を打つのが必死で、言葉の意味を聞く余裕なんてありません。
「後から聞こう…」

三戦の型終わると、バケツで水を被ったくらいビショビショの汗まみれです。
「なかなか体の使いが良いよぉ、それじゃワシが若い頃にようやった鍛錬を教えてやるが、できるかなぁ~」と、いたずらっ子のような顔でF先生。
そして、‘コツカケ’というのを見せて下さいました。
足は三戦立ちで立っているのですが、次の瞬間両肩が下がったかと思うと肩胛骨が‘ボコッ’と背中側にせり出したのです。
これと同じものを、僕は以前見た記憶があります。
ブルース・リーの映画‘ドラゴンへの道’で、ローマのコロシアムで適役のチャック・ノリスと戦う前、ウォーミングアップを行っていたブルース・リーが、おもむろにこの「肩胛骨ボコッ!」をやっていたのです。
そのブルース・リーを思い出していると、「これが‘一段カケ’ね、次はこうして…」というなり、首から肩にかけての筋肉(僧坊筋)が‘モコッ’っと浮き上がり、肩胛骨は更に背中側に飛び出していきます。
「はい、これが‘二段カケ’、じゃ‘一段カケ’真似てみなさい…」
真似てみなさい、って言われて「ハイできました…」なんて出来るものじゃない…、そんなことある分けない…。
そう思いつつ、足は三戦立ちになり、F先生と同じ両手を軽く前に出し、頭の中でブルース・リーを思い浮かべて「エイッ!」ってやってみたところ………。
「オッ、オオーッ!? 何で君それ出来るの~!?」とF先生...。
鏡に映る自分の姿を見て、「で、出来ちゃった、アリャリャ~、やってしまいました~」と心の叫びをあげる僕。
「君、もしかして‘上地流’やってたの?」とF先生。
「いえ、あの、今日が初めてです...。スミマセン(何故謝るのか?)」
「だったら、次ここに力入れるようにして…、それで脇をこう閉めて…、ほら、‘二段カケ’まで出来ちゃったよ。凄いぞ君…」と、当の本人は何が凄いのやら全然分からずじまいです。
「そしたら、突きの鍛錬にもなる‘ツキダシ’を教えてあげるよ、これをやって行けば、もっとコツカケが上手くなるし、大拳(正拳)の突きも強くなるからね…」
そう言って、三戦立ちから行う‘ツキダシ’という鍛錬方法を教えて頂きました。

このF先生、沖縄の人としては異例ではないかと思うことがあります。
それは、「ワシはね、親父の教えもあって酒も煙草もやらんよ。昔、親父のところに『唐手教えて下さい』って言ってきた奴が居てね、親父は『君は酒か煙草をやるか』と聞いたらその男が『酒を飲みます』と答えたので、親父は『だったら酒を習いなさい、唐手は教えられない』とかえした、親父に聞くと『酒は飲んでいくともめ事を起こす、もめ事を起こしたらケンカになりやすいさね。ブサーは戦(いくさ)で戦っても、ケンカはしたら駄目。ケンカをするブサーは、やがてブサーと呼ばれなくなる。唐手は戦のない時は健康の為にやるものだから、お前もブサーなら酒と煙草はしないように…』と言われた。だから酒と煙草はしない。それに、今の仕事(鍼灸接骨院)は、いつなにが起こるか分からない。治療で‘手遅れ’はこちらの責任だからね。いつでも、夜中でも治療できるように心してね…」と仰ってたからです。
お酒や煙草は個人の嗜好ですから、F先生の言葉の是非を問おうとは思いません。
それぞれが、それぞれの責任を持ってあたれば良いと思います。

F先生に「僕もお酒や煙草をやらないです…」と言うと、「そうか、本土でも君みたいな‘ブサーの心’を持った者もおるんやね…」と仰って下さいました。
でも‘ブサー’が分からず、「先生、‘ブサー’ってなんですか?」と、この時初めて聞いてみたのです。

「昔ね、沖縄を琉球って言ってた頃から、琉球武士(りゅうきゅうぶし)のことを‘ブサー’って呼んでいてね、やがて沖縄の空手(唐手)家のことを尊称を込めて‘ブサー’と呼ぶようになったのよ」
「先ほど言われていた、‘ブサーは虎の目を持て…’というのは?」
「戦(いくさ)に及んで敵を打ち倒す際、迷いの目を持っていてはいけない。虎は獲物を狩る際、一切の迷いを捨てただ狩ることに専念するという。空手(唐手)家もね、稽古において迷いを持ってはいけない。気の迷いは目に表れるというじゃろ。だから迷いのない‘虎の目’、それも腹をすかした虎の目じゃないといかん。だって腹が一杯の虎は眠ってるじゃろ…」
「なるほど、でも、僕‘虎の目’になっていましたか?」
「おーよっ!なってたよ。だから君は‘ブサー’さね、これからも‘虎の目’忘れんように…」

この時の禁酒禁煙の話は、今の僕の仕事にそのまま生かさせて頂いております。
当時は、まさかカイロ院を営むなどとは思いもしなかったですが、今はカイロプラクターとして仕事をさせて頂いております。
元々、お酒も煙草もやらなかったのですが、いつ何時でも施術に対応できるように、これからもお酒を飲むことはありません。
それに、僕はF先生から「ブサーの心を持ってるね…」と言って頂けたことが嬉しく思いますから、その言葉に外れないように修行していきたいと思います。

そしてお別れの時に、「空手(唐手)の奥義はね‘受け柔らかく、突き堅く’にある。コツカケとツキダシの鍛錬を続けることさぁね…」と言葉を下さいました。
あれから二十年、僕の肩胛骨は自由に動かせています。
野球選手に指導する際も、その肩胛骨の動きは役に立っています。
そしてそして、全くの‘肩こり知らず’になっています。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008年04月08日 01時32分38秒



© Rakuten Group, Inc.