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「30年前の作品です」 2013年6月11日の記事です 1981年の頃の水彩の作品が数枚出てきました 一生懸命に描いたようです 描きたくて自分流の未熟な作品ですが なつかしくあのころを思い出しています 今はチョチョイいのチョイと筆先でかいていますが あのころは真剣に うまく描こうと力が入りすぎています 夢がいっぱいでした もちろん今も夢がいっぱいです ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「藍の没落」の中に書かれているようなことについて、 子供の頃、断片的に聞かされていた記憶はあります。 さっちゃんの残した資料を整理していると、 父親が何代も前からの家系を整理し残したものを、 引き継いでまとめていました。 日頃からこうした資料や記録を大切にしているから こんな作品が書けるのだなあと改めて思いました。 syun 「藍の没落」(3) <つづき> S家といえば、母の家に冠婚葬祭があれば 本家のS氏の代理として奥様が出席される。 まるで華族さまの令夫人のように、 一同が並んで平伏する中を、背筋をピンと張って、 音もなく白足袋が一同の目の前をツーツーと通り抜けて、 一番奥の上座に、何のためらいも見せず着座される。 私は母の横にかしこまって、子供心に、 大した御方だと目をみはって眺めたのを思いだす。 封建思想のまだ残っていた昭和初年に、 女も身分が高ければ、 あれだけの威厳ある態度が見に備わるものかと、 並みいる叔父たちが小さく見えたことだった。 そのS家も戦後は農地改革で、 祖先が開拓した○○新田など広大な土地を失い、 市井に埋もれてしまった。 今は吉野川も氾濫することは無くなった。 祖父の墓参りにいくと、辺りは銀色のハウスの波が打つ。 役場の帳簿には祖父の名が残っているのは、 この方五尺の墓地だけである。 幼い頃両親と訪れた時は一面の桑畑であった。 水車がコトコト廻って眠気を誘い、 小川には目高が群れていた。 戦前、何かの折に京阪神から帰ってきて、 わいわい騒ぎ、懐かしがったり、 会えば必ず口喧嘩する兄妹もいて、 賑やかだった叔父叔母たちは、もう一人もいない。 いとこ達との付き合いも次第に薄れてきた。 自然も変わる、社会の流れも変わる。 人の心も当然変わるものなのだ。 (おしまい) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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