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星の街仙台★伊達政宗が隠した六芒星

星の街仙台★伊達政宗が隠した六芒星

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とことん伊達政宗公… とことん姫さん

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カテゴリ:第一章■呪術都市
hoshinomachi.jpg

札の辻(芭蕉の辻)の南北の道路が奥州街道です。そのまま北へと進めば北山にある東昌寺にたどり着きます。

北山にあるお寺群は「北山五山(きたやまござん)」と呼んでいます。

中国の五山(又は五嶽-ごがく)崇拝からはじまり、日本へ入ってから「山」がいつしか「お寺」に変わった。(信仰するという共通点から寺を山の代わりにしたのでしょう)
伊達家は京都五山や鎌倉五山に習ってその思想を取り入れ、東昌寺(とうしょうじ)、光明寺(こうみょうじ)、満勝寺(まんしょうじ)、観音寺(かんのんじ)、興福寺(こうふくじ)を伊達五山とし、仙台の城下建設の際に「北山五山」を造りました。


北山の東側から光明寺、東昌寺、覚範寺、資福寺、満勝寺が建設当初の北山五山の配置でしたが、後に満勝寺が柏木に移されて輪王寺が建てられました。


奥州街道は東の光明寺を回り込むようにして北へと伸びて行きます。

また、東昌寺から西へと進むと輪王寺脇から荒巻方面へ行く道と、根白石方面へと続く道がありました。


政宗公と愛姫(めごひめ)の長女五郎八姫(いろはひめ)は、京都で生まれました。

愛姫が秀吉の人質にとられ京都生活を送っていたためです。


姫なのに’五郎八’という男性的漢字は、ちょっと不思議な名前に思えます。

結婚15年目の待望の嫡子に、後継者の男児を熱望していた政宗が、用意していた男子名をそのままつけた。
または、第一子が女子だった場合、次に男子が生まれるよう長女に男子名をつけるという願かけ的慣習があった。

などの説があるようですが、本当のところはわかりません。


仙台市内のサンモール一番町に壱弐参横丁(いろはよこちょう)という、昭和の香りムンムンの飲食店路地があります。

アーケード通りを挟んだ西向かいには縁結びの「野中神社」がありますが、ビルに囲まれ、そこに神社があることなど地元っ子でさえ知る人は少ない。

路地を入ってビルの間をすり抜けコンクリートの階段を上った先にぽつんとたたずむ小さなお堂。

ここは、仙台開府の町割りで使った縄を埋めて祭った場所です。

288_8829.jpg100_0011.jpg野中神社
魚類の薔薇2008公演「小指」photo by MINE HACHIYO


五郎八姫は若くしてバツイチになり、仙台に戻され68歳で死去するまで独身を貫きました。

野中神社、いろは横丁、五郎八姫・・・



京都時代、愛姫の友人に細川ガラシャ(本名「玉」)が居りました。

ガラシャ(キリシタン名)は明智光秀(あけちみつひで)の三女で、細川忠興(ほそかわただおき)の妻でした。

彼女の影響を受けて愛姫もキリシタンであったろうと思われます。

五郎八姫は後に、徳川家康の六男忠輝に13歳で政略結婚させられます。

結婚後忠輝もキリシタン信仰を受け入れてゆきます。


五郎八姫は キリシタンでした。



1606年(慶長11年)の6月、忠輝との結婚を半年後に控えたいろは姫は’初めての里帰り’という名目で仙台の地を踏みました。


秀吉が生きていた時は、母愛姫と娘いろは姫は人質として京都にいましたが、家康が天下を取ると江戸へと移りました。ですから、いろは姫にとって仙台は故郷であっても、住んだことのない知らない土地でした。

仙台では、お姫様の初里帰りと言うことで城内は大騒ぎとなります。

政宗公は家臣に命じて7月の盂蘭盆(うらぼん)の間中、町屋を含めた屋敷に灯篭を掛けさせるようにしたのです。

今ですと、都会のネオン煌く夜景と言ったところでしょう。


「夜は暗い」が当たり前の時代に、城下を灯篭の明かりで満たしたのですから、さぞかし綺麗だったことでしょう。

その光景を見せるため、政宗公は五郎八姫を’懸け造り’へと案内しました。

shiro.jpg

「さあ姫、ここから城下が一望できるゆえ来てみるが良い」

五郎八姫は父に促されながら望楼邸の先へと進み出た。


夜の城下を見下ろした姫は声にならない声を発して ため息をついた。

「・・なんて美しい明かりでしょう。。まるで夜空の星が地上に降りてきたよう、、星

政宗公は喜ぶいろは姫を細目で見ながら微笑むと、

「姫、よく明かりを見てみなさい。何か気づかぬかな」

何か、と言われてよくよく見直してみるとひらめき「えっ」と小さく声をあげ

「もしかして・・・」と言いながら政宗公を振り返った。


政宗公は笑みを崩さずに小さくうなづいた。

「いろはに喜んでもらいとうてのぅ」

姫は城下の明かりをもう一度しみじみ見つめ、静かに胸に十字を切ったのでした。


城下は札の辻を中心に町屋が十字に並んでいます。

灯篭の明かりはその十字沿いの道に密集します。

仙台城本丸の御懸け造りから眺めると、そこには見事な光の十字架が浮かび上がったのです。


政宗公がキリシタンの娘に贈った最高のプレゼント。

元祖光のページェントとでもいいましょうか、、

この政宗公の粋なはからいは、政略結婚という犠牲を背負わせた父から娘への 複雑なる心情と純粋なる愛情の形であったのでしょうか。


いろはと忠輝は仲の良い夫婦でしたが、子供はいませんでした。


1620年(元和げんな2年)、忠輝の改易によりいろは姫は離縁され仙台に帰されます。

そしてお城の北側に屋敷を構えて住みました。

城下の西にその屋敷があったので五郎八姫は「西館殿(にしだてどの)」と呼ばれるようになりました。


名称未設定 1.jpg
上記の西舘は、茂庭綱元の屋敷でしたが、政宗公亡きあと、五郎八姫が住んだことで「西舘」と呼ばれるようになった。







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Last updated  2015.07.21 23:39:51
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