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明日で巡業を除いた七月の歌舞伎公演が全て千穐楽となります。
真夏の従来からある納涼歌舞伎は、三部制の型式こそ残りましたが八月は新橋演舞場で花形歌舞伎になりました。 これまでの勘三郎・三津五郎が座頭格で若手の研鑽の場でもあったのですが、今年はお二人が出られず、何かと話題の海老蔵が加わり、花形歌舞伎になったのでしょうか。 ふだん出来ない役を演じるのが多いのですが、今年は、これまで納涼歌舞伎でもご活躍されていた橋之助初役による暗闇の丑松があります。 祖父にあてて書かれた作品なのだそうですが、初演する前に亡くなってしまったとか、東京新聞のインタビューで知りました。 ---------------- 初演目前で死去 祖父の無念胸に『暗闇~』 中村橋之助が初役で丑松 2010年7月24日 東京新聞 中村橋之助が八月七日から始まる東京・新橋演舞場の花形歌舞伎第二部(午後二時二十分~)「暗闇の丑松」で、初役の丑松を勤める。戦前戦後にかけて“股旅物(またたびもの)”などの劇作、大衆小説で活躍した長谷川伸の代表作の一つ。「六代目尾上菊五郎と僕の祖父の五代目中村福助にあてて書かれた作品ですが、祖父は初演の前に亡くなってしまった。そんなことからずっとやりたかったお役。祖父への思いを込めて勤めたい」と意欲を燃やす。 (藤英樹) 江戸の板前丑松(橋之助)は一本気な性格。恋人のお米(中村扇雀)との仲を認めないお米の養母を殺し、お米を兄貴分の四郎兵衛(坂東弥十郎)に預けて旅に出る。ところが丑松の不在の間、四郎兵衛はお米を手込めにして女郎屋に売る。戻った丑松にお米は顛末(てんまつ)を訴えるが丑松は最初は信じない。お米は絶望して自殺してしまう。怒りに燃える丑松は四郎兵衛とその女房お今(中村福助)を殺して逃げる。 初演は一九三四年六月の東京劇場。上演を熱望していた六代目菊五郎が丑松を勤め、評判をとり当たり役とした。美貌(びぼう)の若女方としてお米を勤めるはずだった五代目福助は前年に三十四歳の若さで亡くなってしまったため、お米は四代目市川男女蔵(三代目左団次)が勤めた。 橋之助は「物語的に暗いと片付けるのはたやすいが、今の世の中に欠落しているテーマではないか。好きな女性への不器用だけど一途(いちず)な思いは男にありがちなもの。丑松のストレートな生き方に役者として魅力を感じる」と言う。 橋之助の父の中村芝翫も若いころ、二代目尾上松緑の丑松を相手にお米を勤めた。橋之助が「八月に丑松を勤めます」と報告すると、「それはやってほしいね」と話し、手に持つ包丁は柳刃がいいとあの人は言っていたよ、などと細かいアドバイスをしてくれたという。 「子どものころから父の晩酌の相手をしながら、『六代目(菊五郎)のおじさんの丑松は本当にすばらしかった』と何度も聞かされました。戦争のころはお上からのお達しで、殺人犯の丑松は必ず捕まらなければならない演出だったそうです。花道で捕手に押し戻されて御用となる六代目の目が悔しさでキラキラ輝いていたと父は言います。父の中にも、自分の父(五代目福助)がやれなかった作品という思いがあるのではないか」と橋之助。 橋之助自身は、八三年二月の歌舞伎座で松緑の息子の辰之助が、当代菊五郎のお米を相手に勤めた丑松に大変感銘したという。「すごくすてきで、時間のある限り歌舞伎座に通って見た記憶があります」。ただ「新歌舞伎なので古典とは違って型の芝居ではない。いくら辰之助のお兄さまの丑松にあこがれても、役者によって表現の仕方は違う。僕のほうへ引き寄せて演じてみたい」と語る。 今回、お米を勤める扇雀とは幕末の名優・四代目中村歌右衛門が共通の祖先になる遠縁で、同じ成駒屋。共演の機会も多く、梨園(りえん)では大の仲良しという。「扇雀さんはとても古風で、朝起きて最初に僕が何をするか全部分かってくれるような人」と舞台で息の合うところを強調する。 橋之助の兄の福助はお今を勤める。第二部の「暗闇~」のすぐ後に大曲「京鹿子娘道成寺」を踊るが、「兄に電話したら『出てあげるよ』言ってくれた。大変な『道成寺』の前に最初は冗談かと思ったら、本当に出てくれることに。感謝です」と橋之助。 ほかの演目は、第一部(午前十一時~)が市川海老蔵の訪欧凱旋(がいせん)公演「義経千本桜」、第三部(午後六時~)が海老蔵、中村勘太郎、獅童、七之助らの「東海道四谷怪談」。二十八日まで。一万四千~二千五百円。(電)0570・000・489。 ------------------ 東京新聞は、こちら。 [これぞ醍醐味!歌舞伎の大向う]カテゴリの最新記事
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