心にこころ
他人の心なんて分からないもの。だって自分の心さえも分からないんだから。 アレが食べたい、コレが食べたい・・・ 眠い・・・ エッ○したい・・・ 必要以上な身体の欲求に振り回される自分の『心』。その結果、苦しみが生じる。 オレがこうしたんだから、オマエはこうすべきだ・・・ アイツがこうしたから、オレはこうなってしまったんだ・・・ 私はこうだから、あなたもこうあるべきだ・・・ 自己中心的な考えで相手を判断してしまう『心』。そしてその考えが、結果的に自分を、そして相手を苦しめることになる。でも、そんな『心』とは別に、自分の中に冷静に自分を見つめるもう一つの『こころ』がある。 そしてそれに気がついた時に、人はまた別の見方をするようになる。 この欲求は、自分にとって本当に必要な欲求なのだろうか? オレがこうした・・・ アイツがこうした・・・ 私がこうだ・・・ その行為は、それ以上でもなく、またそれ以下でもない。 ただ『行った』に過ぎない。そこに不必要に『意味』を与え、自分を正当化しようとする『心』。 自分の中の『こころ』に気がつくと、そんな自分自身の自己中心的な『心』に気がつく。 前の車が遅い!イライラする!!・・・ でも、前の車はただ『遅い』だけであり、本来はそこにそれ以上の意味などない。 そこに『オレは急いでいるのに、なんでこんなに遅いんだ!』『オレはもっとスピードを出したいのに邪魔をしている!』という『オレ』という『心』が入り、勝手にイライラして苦しむ自分。 自分の中の『こころ』が目覚めると、そんな自分勝手な『心』に気がつく。 なんだ、けっきょく自分自身で苦しみの原因を作り、勝手に苦しんでいるだけだったんだ。 青年期、自分の中に巨大な『龍』が棲んでいると思っていた。どうしようもない、爆発しそうな苛立ち、とてつもないマグマのような巨大な『龍』が。 その『龍』は、よほど大人しくなったもののまだ私の心の中に棲んでいる。 もしかしたら、その『龍』が、自分の中の自己中心的な『心』だったのかもしれない。 それが分かった今、この『龍』を飼いならし、永遠の眠りにつかせよう。 自分自身の冷静な『こころ』によって、その都度、何度も何度も、繰り返し繰り返し反省しながら。 それがなかなか難しい・・・。時間がかかるだろうが、でも、必ずやり遂げよう。 ・・・以上、独り言でした。まだまだ未熟者。修行の身です。