多摩の団地で、野菜とみかんの定期朝市がひらかれました
野菜とみかんの定期朝市第一・第三土曜日は、東京・多摩市の永山団地で朝市が開かれてます。もう丸2年以上続けられているんですが。本日、2月16日も開催されました。地元の多摩と群馬の月夜野の農家から生鮮野菜が運ばれてきて並べられます。その片方には、小田原の農家から預かったみかんを並べています。多摩の団地では、一番古くからある永山団地ですが、人口の高齢化というのは、年金でつつましく暮らしている人たちですから、全体としての購買力は低下してきています。個人商店は店を閉めていき、街にはスーパーが1つあるだけとの状況もあります。生鮮食料品のお店がいち早く消えてしまってるんですね。しかし、人は生きていくためには、食べなければなりません。そんなときに、そんなところで始まった、地元のボランティアたちによる野菜の定期朝市です。けっこう、この安く新鮮な野菜の朝市を、あてにしている人たちが出来てきているんですよ。バリアフリー化の求められる団地は、医療介護の態勢がもとめられており、高齢者の生活力を高め、励ますようなボランティア活動が求められているわけです。そうしたことは、今の政府や財界では、無視され切り捨てられているのが状況ですから。地元のボランティアの人たちにとっては、すき間を埋める出番仕事になっているわけです。当方は、当初真鶴のみかん園でつくったダサいみかんを並べていたんですが。この1,2年は、中身の質が違ってきました。小田原・早川の農家がつくったみかんも、合わせて並べるようになったんです。「合わせて」というよりも、産地のみかん農家がつくったものが主体で並ぶようになっんです。すでに温州みかんの山場は過ぎたんですが、その他の産物も並べるようにしています。次のみかんコーナーが、その小田原産のもので、昨日運んできたものです。青島と普通温州のみかんは、この間の中心でしたが、そのシーズンを終えようとしています。今が旬の伊予柑、金柑、ネーブル、レモンをならべました。フキノトウ、水菜もならびました。新鮮で、とてもジューシーで美味しいんですよ。おまけに、産地にくらべてもおとらず値段が安いんです。どうしてこんなことができるのか。それは、今の日本の流通では、柑橘は大きすぎたり、小さすぎたり、果皮の表面に傷があると、農協の流通から規格落ち品としてはじかれちゃうんです。美味しいんですけど。いくら名人の作でも、中には規格落ち品がでてきます。それがなるべく少ないのが名人ですが。規格落ちして、流通にのらないみかんをどうするか。ジュース用にするとk10円くらいでしょうか、しかも引き取られる量はごく限られている。そりゃぁそうです。外国産の濃縮還元ジュースが500ccで100円くらいで売られているんですから。これじゃぁ農家にとっては、手間賃どころかガソリン代にもなりません。そうなると、農家は棄てるしかなくなるじゃないですか。日本の農政は、規制緩和だとか、輸入自由化だとか、安けりゃいいじゃないかと、消費者心理を利用して、自国の食糧供給の基盤を壊し続けているんです。一部の人がもうかりさえすれば、全体がどうなってもいいじゃないか、というわけです。幕末に「ええじゃないか」というのが流行ったそうですが、日本国政府が今それをやってます。こんな時だからこそ、私などにとっては新たな老後の仕事が出てきました。あくまで付け焼刃的な対処でしかありませんが、流通に乗らなくなっているみかんを預かって、それを東京の団地に運んで朝市で販売することです。この朝市で、去年なんて、100コンテナ以上、ですから2000キロ以上が販売されたんですよ。300円×2000キロの単純計算でも60万円以上になります。実際はもっと多いはずですが。この売り上げは、生産者には、3割りないし、4割が還元されますから、向け場のなくなったのが、生きるようになるわけですから、農家にとっても悪い話ではないはずです。他方消費者にとっては、安くて、新鮮で美味しいみかんが手に入るわけですから、歓迎されます。これって、本当は日本国政府が農業政策として、農協の力も借りてやらなければならないことなんですよね。それがジェット機などの軍事品は爆買いしても、農家なんてどうにでもなれの自由化ですから、そんな政策を強引に推し進めているんですから。私などがこんな付け焼刃的な労働をしなければならないのは、こうした事情によるものなんですね。本当はこんな役割から解放されたいんですが、しかし事態はまだまだ頑張ることが必要なようです。ということで、今回も16,090円の売り上げでした。これは農家の人たちにとっては、8,000円の売り上げとなります。