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つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

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2016.10.03
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カテゴリ:伝記・歴史・地理
著者はイギリス人である。現在の妻は日本人で、三島由紀夫と親交があり、ドナルド・キーンや、サイデンステッカー、アイヴァン・モリスとも親しかった。知日家である。以下抜粋&要約。


戦後処理

ポツダム宣言は、日本軍の無条件降伏のみを要求し、「われらは以下の条件から逸脱することなし」と記しているから、日本は有条件降伏をしたのに、マッカーサーは日本軍を武装解除すると、日本が無条件降伏をしたことに、すり替えた。



・東條英機などは「戦犯」として裁かれたが、戦勝国によって「判決」を受け入れさせられただけのことだ。

・東條の弁護人だった清瀬一郎東京裁判主任弁護人は、裁判の冒頭でオーストラリアのウェッブ裁判長に「管轄権」を問いただしている。この裁判には正当性がないと、訴えた。これに対して、ウェッブ裁判長は「その質問には、後で答える」と述べたまま、裁判が終結するまで回答することがなかった。

東京裁判は復讐劇であり、日本の正当性を認めることなど、最初からありえないことだった。認めれば、自分たちの誤りを認めることになってしまう。広島、長崎に原爆を投下し、東京大空襲をはじめ全国の主要都市を空爆して、民間人を大量虐殺した「罪」だけでなく、もっといえば、世界で侵略を繰り返してきたその正義の「誤謬」が、明らかにされることがあっては、けっして、ならなかった。それが、連合国の立場だった。

・この”裁判”で日本は侵略国として裁かれたが、裁判が進行しているあいだに、イギリス、フランス、オランダの諸国軍が、日本が解放した旧植民地を、再び植民地として領有しようと企てて、侵略戦争を戦っていた。アジア人は日本によって覚醒されていたから、独立を守るために立ち上がって勇敢に戦った。

・ウェッブ裁判長はオーストラリアに戻って隠居した後に、「あの裁判は間違っていた」と、語っている。


慰安婦問題

・朝鮮戦争勃発により、韓国に米兵相手の慰安婦が誕生し、(中略)米軍のための売春地区は、「基地村」と呼ばれていた。

・朝鮮戦争の時も、ベトナム戦争の時も、戦場にはかならず慰安婦がいた。

・韓国にはアメリカ軍を中心とする国連軍のための慰安婦が、大勢いる。

・歴史を振り返れば、日本は兵士の性処理に当たっておおむね秩序を保って対応した。戦場のどこであっても、現地の女性の人権が蹂躙されることがないように、「慰安所」を設置した。性病が蔓延して、軍として機能しなくなった歴史の教訓がある。慰安所の存在が、一般女性への強×を防ぐことにもなった。

・太平洋戦争中にアメリカ人が捕えて尋問した、朝鮮人軍属がこう答えている。「太平洋の戦場で会った朝鮮人慰安婦は、すべて売春婦か、両親に売られたものばかりである。もしも女性たちを強制動員すれば、老人も若者も朝鮮人は激怒して決起し、どんな報復を受けようと日本人を殺すだろう」

・戦国時代の合戦は兵同士のもので、民衆を巻き込まなかった。農民は合戦があると、弁当を持参で土手の上などから、見物した。むしろ男女の大虐殺や、処女の集団強×は、キリスト教世界のお家芸だ。たとえば、聖書の「民数記」では、神の宣託を受けたモーゼが、異教徒は、「男も女も全員虐殺」することを命じている。さらに、「男を知らない処女は、分かち合え」というのだから、恐ろしい。

・日本の「慰安婦」の実態は、もちろん「性奴隷」ではまったくない。売春婦だった。そのことを、米国側の資料が裏付けしている。

・中国や、韓国は、日本が反駁しないのをいいことに、謀略宣伝に利用している。


南京事件

・『史実を世界に発信する会』の茂木弘道氏が、英語によって膨大な量の情報を発信している。知的かつ精緻な論陣を展開し、真面目な議論の土台になる内容がある。「南京」の実態が世界で信じられているものとは違う様相を持つことが、徐々にではあるが浸透しつつある。

・「かくして我々(国際宣伝処長曽虚白ら)は手始めに、金を使ってティンパリー本人とティンパリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した」

・外国特派員は、中国シンパとして、すっかり取り込まれていった。

・南京陥落後に現地にいて、その一部始終を見たという匿名のアメリカ人は、国民党政府「顧問」のマイナー・ベイツと、妻が蒋介石夫人の宋美齢の親友だったジョージ・フィッチであることが判明した。

・ベイツの「声明」によれば「(日本軍による南京陥落後)二日もすると、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行を含む家庭生活の勝手きわまる妨害によって、(中略)…死亡した市民の大部分は、十三日の午後と夜、つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたり、銃剣で突き刺されたりしたものだった。(後略)」

・これ(『市民重大被害報告』は日本側による報告ではない。国際委員会が受理した南京市民の被害届で、日本大使館へ提出されたものである。補足すると目撃者がいる殺人事件は、南京陥落後三日間でゼロであった。誰一人として殺人を目撃していない。

・日本軍が安全地帯から連行した中国兵は、問題がないかぎり市民として登録された。敗残兵は苦力―労働者ともなっていた。苦力は好待遇で、月額五円の給料を支給されていた。日本軍の一等兵の本給は、月額五円五〇銭だった。

・中央宣伝部がティンパリーに依頼し、製作した宣伝本『戦争とは何か』について。同書は漢訳されたが、英文版にあったベイツの文章から、虐殺に関する文を削除している。虚偽の宣伝だと露見することを恐れてのことだろう。なお、この処置にはベイツも同意していた。 

さらにこの本の要約本が中国語、英語、日本語で出版されたが、この要約には「大虐殺」「虐殺」どころか「殺人」という言葉も出ていない。

蒋介石と毛沢東は南京陥落後に、多くの演説を行っているが、一度も日本軍が南京で虐殺を行ったことに、言及していない。

国際委員会の報告によれば、南京に当時残っていた人口は、南京戦の時点で二〇万人だった。しかし、南京が陥落してから人口が増え始め、翌一月には、二五万人に膨れ上がった。戦闘が終わって治安が回復されて、人々が南京へと戻ってきたのだ。このことからも、「南京大虐殺」などなかったことは、明白だ。歴史の事実として「南京大虐殺」はなかった。それは、中華民国政府が捏造した、プロパガンダだった。


靖国神社

「戦勝国か敗戦国かを問わず、国家のために命を捧げた人に敬意を払うのは自然の法であり、国家にとって義務であり、権利でもある。もし、靖国神社を焼き払ったら犯罪行為であり、アメリカの歴史に不名誉極まる汚点を残す」ブルノー・ビッテル神父がマッカーサーに宛てた書簡より

・一九五二(昭和二十七)年に、日本弁護士連合会が、「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出したことを契機に、全国に運動が広がり、一九五五(昭和三十)年七月に、衆議院本会議で四二六名の国会議員が、赦免決議を可決した。この国会決議によって、日本から「戦犯」がいなくなった。日本の大新聞は、靖国神社に「A級戦犯」が祀られているのは許せないと主張しているが、それは国会決議を無視、否定していることになる。


アジア解放

・知日派は日英同盟の破棄が間違いだったと、全員が語っている。(もっとも、これは日本が第二次世界大戦で大英帝国の植民地を「侵略」した結果、それがアジアの解放と独立につながり、大英帝国が崩壊してしまったからであろう。:嵯峨山註)

・インドネシアという名は、独立運動の指導者だったハッタとスカルノによる造語だ。日本の力によって独立するまでは、世界にオランダ領東インド諸島として知られていた。

・日本は第二次世界大戦でアジアの国を侵略したとされますが、どうして侵略する国が、侵略された国の青年に軍事教練を施すのでしょう。彼らの精神力を鍛え、高い地位を与え、民族が結集する組織を全国につくり、近代組織の経営方法を教えることがあるでしょうか。(もちろんそれは大東亜戦争を日本とともに戦うためである。ただ日本は、イギリスやフランスのようには、現地人を搾取しなかった:嵯峨山註)


日米の指導者

・一九三〇年代末に、二万人ものユダヤ人難民がナチスの迫害を恐れ、シベリア鉄道で満州国境へやってきていた。当時、関東軍ハルビン特務機関長だった樋口少将が、新京に司令部を置く関東軍参謀長に、ユダヤ人難民の入国の許可を求めた。当時の参謀長が、東條英機中将だった。入国を許可しなければ、ソ連がドイツに送り返すところだった。東條は「民族協和と八紘一宇の精神」に従って、二万人のユダヤ人の入国に許可を与えた。ドイツ外務省が日本政府に対して、強硬な抗議を行ったが、東條は「当然な人道上の配慮」だとして一蹴した。

・「獣を相手にする時には、獣として扱わなければならない」トルーマン大統領は、ヒロシマ、ナガサキの直後に笑みを浮かべながらこう言った。


日本の植民地政策

・日本が韓国を併合したのは、日露戦争の五年後(一九一〇年)だった。日本は韓国を近代化するために、膨大な労力と費用を投入した。日本の努力は大変なものだった。義務教育、大学教育、医療、警察制度まで、今日の韓国社会の基礎をつくった。

・イギリスのインド統治と比較すると、インドでは白人が優越した。インドに限らず、アジア人は劣等人種として扱われた。イギリス統治では、植民地の人々に対する教育は否定され、まったく行なわれなかった。日本は台湾と朝鮮に、それぞれ帝国大学をつくった。イギリスの植民地には、大学が一つもなかった。いまでも、台湾、韓国では、帝国大学の延長である台湾大学とソウル大学が、最高教育機関となっている。


侵略戦争

・ヒトラーのドイツは、全ヨーロッパを覇権のもとに置くために、征服戦争を戦った。日本は自衛のために追い詰められて、やむにやまれず立ち上がった。日本はマッカーサーが言ったように「自衛戦争」を戦ったのだから、詫びる必要がなかった。(米英仏蘭に対してはそうだと思う。中国に対しては自衛と侵略の両方の側面がある:嵯峨山註)

・アジア諸国の欧米による植民地支配からの独立は、日本によってはじめて可能となった。これは厳粛な真実だ。日本はアメリカによって不当な圧迫を蒙って、やむをえず対米戦争を戦ったが、アジア解放の理想を掲げた。明治維新は欧米の帝国主義によって、日本が植民地化しないために行なわれたが、アジアの解放はその延長だった。

日本がアジアに進攻することがなかったら、アジアは今でも欧米の植民地のままだったろう。アメリカで黒人が大統領になるどころか、今でも黒人たちが惨めな地位に喘いでいただろう。日本が大東亜戦争を戦ったことによって、大英帝国が滅びた。日本が大東亜戦争を戦わなかったら、いまでもアジア諸民族が、イギリスやフランス、オランダ、アメリカの支配を受けていた。






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Last updated  2016.10.09 17:53:15
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