5月15日の日曜日、広島グリーンアリーナであった浜田省吾のコンサートに行ってきました。
14日15日の二日連続であったのですが、うちの奥様などは二日とも行きました。
人気アーチストのチケットの場合、いい席はヤフーオークションで高額取引され、それを狙ってチケットを買いあさる不届きな輩も多く、オープンなダフ屋と化していまます。
そこで、今回のツアーでは、席が分かるのはコンサート当日。
改札みたいな機械を通すと、席番が出てくるという仕組み。
で、行ってみると、なんと、前から7番目の正面に近い場所。
うちの奥様などはテンションが上がりまくりです。
コンサートは3時間半の長時間。
そうですね、三分の2は立ちっぱなし・・・。
平均年齢は、おそらく40歳代の中盤・・・・。
男女比率は、男性3に対して、女性7くらい。
会場の収容人員は7200人。
浜田省吾自身は59歳。
まあ、最近のアラカンというのは、まだまだエネルギーに満ち溢れていますね。
あ、念のため、アラカンというのは、「アラウンド還暦」ということのようです。
さて、今回のお題は「浜田省吾を考える」ということでした。
彼はおそらく日本で最も不可解ミュージシャンです。
(怪しさでは内田裕也に負けてますが・・・)
ヒット曲は1曲。かれこれ15年も前のドラマの主題歌となった「悲しみは雪のように」。
サングラスを外した顔が不明。テレビでの露出、ほぼゼロ。
タイアップ曲、ほとんどなし。
にも関わらず、今なお日本各地でアリーナを満員にし、チケットの入手が困難・・・。
声は太い。
声がいいのかどうかも分からないし、歌がうまいかどうかも微妙。
ものまね番組でも数人チャレンジしたものの、どれも似てない。
さらに、知っている人が少ないので、受けない。
ルックスは、特別かっこいいわけでもなく、ファッショナブルではない。
あいも変わらずサングラス。
最近は白髪染めもやめたのか、コンサートも白髪混じり。
ダンスはうまくない・・・。時に笑える。
ギターも特別うまいようではない。
にも関わらず、今なおこの人気を保っている・・・。
歌の良し悪しもかなり好き嫌いが出そうだ。
ひとついえるのは、彼のファンの多くは「マニア」だということ。
巨大なマニアの集団であるとも言えます。
「ファン」と「ファンでない人」がはっきりしています。
「ファン」は熱烈だが、そうでない人はほとんど彼のことを知らない。
メディアへの露出がないため、知りたくない人にはほとんど情報がいかないので、当然といえば当然の結果ですが・・・。
私が浜田省吾のファンとなったのは、中学二年のときでした。
ギターを弾き始め、吉田拓郎とか井上陽水といった当時の人気フォークシンガーの曲から練習し始めるのだが、そんなときに友人のお兄さんから教えてもらったのが、デビューしたばかりの浜田省吾。
「路地裏の少年」という、いかにも貧乏臭いタイトルのデビュー曲に感動して、それからファンに・・・。
かれこれ、35年も前の話ですね。
最初にコンサートに行ったのは、3年後の高校二年生のとき。
当時はコンサートに行くこと自体がなんだかちょっと不良っぽい気がしてドキドキしたのですが、コンサートの三日前に取れた席が前から9番目。
当然客席はガラガラ。
という風な状況であったので、当時のファンというのは「俺達の浜田省吾」という感じがありました。
大学時代までは、それでも普通にチケットが手に入ったのです、取れる席はだんだんと後ろに・・・。
それから就職して、忙しく働いているうちに、彼はどんどんとビッグになり。
コンサートに行く暇もなかったのですが、いつの間にかチケットも入手困難。
気分としては、昔の友人がどんどんと遠くに行ってしまったような感じでしょうか。
大学時代までは、ギターを弾いて歌う歌の多くが浜田省吾でしたし、
高校時代には文化祭にも出ましたが、そのとき歌ったのも浜田省吾。
だから、大学時代までの人生のサウンドトラックは彼の歌であったと言っても過言ではありません。
そのため、私が好きな歌、思い入れのある歌というのは、浜田省吾がデビューして35年の内、最初の15年くらいに集中しています。
その後の歌はどうも思い入れが少なくて、タイトルさえ思い出せないほど・・・。
まあ、後半の曲はコードもコード進行も難しくなって、自分のギターの腕では弾くのが難しくなってしまった、という悲しい現実もあります。
カラオケに行くと、浜田省吾の歌を歌ってみますが、ほとんど誰も知りません。
しかし、もしも仮に知った人がいれば、とっても意気投合。
そして、自分がどのくらい昔からファンであったかという話になります。
「え、あなたもハマショーのファンだったんですか!ところでいつから・・・」という具合。
浜田省吾はビッグになったのに、いつもファンは「隠れキリシタン」の気分なのです。
ということで、今では、うちの奥様の方が圧倒的に熱烈なファンです。
そもそもは、恋愛時代によくある、「お気に入りの曲」カセット。
「浜田省吾セレクト」とか、自分で勝手に名前をつけて、うちの奥様に渡した日から現在につながっています。
彼はかなり社会派の曲が多く、ちょっとものの見方がステレオタイプという感じもしますが、南北問題とか、環境問題、原子力の問題、戦争の問題、過労死の問題、ストーカー問題、家族の問題など、社会的なテーマを歌にしています。
そういったテーマというのは、本来女性には嫌われやすいものですが、それでも女性ファンが離れずにいるところが不思議ですね。
最新のDVDなんて、自分の歌のバックに、「映像の20世紀」を彷彿させる映像を流し続けるというもの。
過去からつながった現在、そして現在からつながった未来。
その中で常に織り成されてきた人間の喜怒哀楽。
自分達に残された今と、子ども達に残すべき未来・・・。
私的には、それをしっかりと考えるべき時だというメッセージなのだと受け止めました。
マニアの域を超えてひとつの宗教であるといえるかもしれません。
そう、だからこそ、浜田省吾のファンは隠れキリシタンなのです。
「私、大きな声では言えないんですが、浜田省吾のファンなんですよ。そう、まだコンサートもガラガラであった頃から・・・・。内緒ですよ」
なんてね。
長くなりましたが、実はまだまだ書き足りません。
ご訪問、ありがとうございます。