イラクで戦場死した橋田信介さんのブログを紹介します
左が橋田信介氏、右がゆき子夫人第28話ラーメン店開業「天井にゴン、女房元気で留守がいい」 バンコクのババボボは相変わらずニクジをたれています。 実は先月の八月二十二日はめでたくも還暦の誕生日でした。それで還暦を記念して新しい事業を興すことにしたのです。六十歳にして企業を興すのです。日本の不景気を乗り越え、祖国の経済を活性化するために、決然と立ち上がったのです。 壮大なプロジェクトです。総事業経費は税務署がうるさいので秘密です。場所はカンボジアのアンコールワットです。旅行社をやっているカンボジア人のオフィスをかりて、オミヤゲ店兼ラーメン屋をやるのです。オミヤゲの主なものは地雷や銃弾でつくったアクセサリーです。それをつくるのは地雷で手や足をもがれた人たちです。総勢十数人になるでしょう。 これだけでは多分、赤字になるでしょう。だからラーメン屋もやるのです。われながら規模壮大なプロジェクトだと思います。このくらい大きい国家的事業だとさすがに私一人では手におえません。それで旅行社をやっている友人の登場です。 彼はカンボジア人なのですが、日本の国籍を持っています。名前はミウラです。ミウラはもともとカンボジアの自分の名前だったのですが、それを日本の名前「三浦」にしたのです。ミウラはもともとゲリラでした。難民となってタイの国境に逃れてきたのですが、運よく日本に行き、日本の中学、高校を卒業しました。それからイロイロあって、今は平和となったカンボジアで旅行業をやっているのです。その彼が、日本からのお客さんに冷やし中華や冷やしソーメンを食べさせるのです。 アンコールに来る人はどちらかといえば中年すぎの人が多い。それで油こっいカンボジア料理にうんざりするのです。 地雷や弾薬からアクセサリーをつくる担当者も決まっています。地雷解除の名人、通称「アキラ」です。彼についてはかつて紹介した憶えがありますが、もともと彼もゲリラだったのです。 戦争時代に自分も地雷を埋めた。それがいかに残酷なことだったか、深く反省して今は地雷を解除する仕事をしています。この十数年で解除した地雷は二万個になるそうです。解除した地雷を自宅に飾って個人の地雷博物館をつくっています。この博物館は私が最初に日本に紹介したのですが、いまや「地球の歩き方」にも出ているそうです。 問題はラーメンをつくる人です。私はインスタントラーメンも満足につくれない。それで考えあぐねていたのです。ところが最近になってバンコクのラーメン屋で働いていた通称「安」という青年をみつけたのです。夢がない日本を捨てて、アジアで自分の夢を果たすべく孤軍奮闘していた彼をみつけたのです。これでベストメンバーがそろいました。 後は資金です。この資金が問題です。誰かをだまくらかす必要があります。それで急きょ、日本に向かうのです。「勝ってくるぞと、勇ましく」 橋田 信介 『 砲声を 求めて彷徨う 砂漠かな 』 さごし つつしんで、ご冥福をお祈りいたします。そして、ゆき子夫人の幸せを祈っております。 さごし 橋田信介の面白エッセイ集 http://www.ubenippo.co.jp/skiji/hashida/hashida_index.htm