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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2011/04/08
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カテゴリ:東日本大震災
「ふんばろう東日本プロジェクト」というのは組織だってやることが目的ではない。被災地の支援につながればそれでよいのだ。だから僕は今回大量に集まっても大丈夫というので自分のブログで募集をかけることにした(自分のブログならいつでもアップしたり修正したりできるから)。

結局そういうことだ。誰が窓口になってもいいし、誰がどのサイトにアップしてもいいのだ。「ふんばろう東日本プロジェクト」のサイトを必ず使わなければいけないということすらないのだ。

要するに現地の人たちが求めているものをインタビューして、リストを作り、サイトにアップする。そのサイトの内容が広く知られて物資が現地に送られればそれでいいのだ。

ただ信頼とか利便性とかそういうこともあるから、「ふんばろう」のサイトを活用した方がよい人は活用すればよい。他方で@runrun_akita さんや@mikajohnさんのように独自に動ける人はどんどん動いて、お互いに連携したりできるのが理想だ。

事務局は今、現地入りしている支援人々が、その掲示板をみることでどこで誰がどのような活動をしているかわかる画期的なシステムを組もうとしている。これができれば現地入りしている人たちは連携を取りながら必要なところへ必要な物資を届けやすくなる。

そうしたシステムがあれば、各自が事務局とやりとりしなくとも、その掲示板を見て記入してもらうことで、現地での自律的な支援が可能になる。それを程嶋さんや田中さんといったプロ達が構築しようとしてくれている。

「ふんばろう東日本プロジェクト」の基本モチーフの一つは自律的支援だ。各自がその場その場で考えて支援することを可能にするシステムを構築しようとしています。これは画期的な試みで実現すれば、より効果的な被災地支援が可能になる。

だから使う人も「ふんばろう東日本プロジェクト」に依存してはいけないし、運営側もそれに依存してはいけない。少しでもそういうものになったとき、このプロジェクトは本質を失うことになり十分に機能しなくなるだろう。

僕らは自分がいてもたってもいられなくて、誰かを支援したいのだ。させてもらいたいのだ。それだけのことだ。どんなやりかたでもいい。穴があったっていい。失敗してもいいし、重複したっていい。そんなことを気にしていたらその辺の行政と変わらなくなる。

そういうことは自戒を込めて胸に刻む必要がある。それからスタッフも大変だろうけど、大変だからこそ、言葉遣いは丁寧にするよう心がける必要がある。そして休むときは休んで、家族との時間も大事にして英気を養わなければならない。僕らが気持ちよく仕事ができなければ、現地の人によい支援を届けることはできないのだから。

僕はボランティアという言葉が好きではない。自分がやっていることはボランティアだと思っていない。そういわれれば、そうかと思うぐらいだ。これがボランティアなら子どもが泣いているのを慰めるのもボランティアということになる。御飯を食べるのもボランティアだし、道を聞かれて答えるのもボランティアということになる。

ボランティアという言葉はどこか人を傲慢にさせるところがある。あなたのために私が犠牲となってしてあげているんだ、という臭いがある。

ボランティア団体を批判しているのではない。僕らの中で、自分を犠牲にして何かをしてあげている、という気持ちを持った途端、それは本当の意味でのボランティアではなくなるのだ。逆説的だが、本当によい支援をしている人をみていると、ボランティアをやっているなどという意識はない。

ボランティアという言葉は僕らも使う。わかりやすいからだ。でもそれが少しでも傲慢さを帯びたとき、本質を失う。そのことだけは忘れないようにしたい。他人のために自分を犠牲にして、という意識が強すぎる人はやめておいたほうがよい。それは必ずどこかに歪みをもたらすとおもう。

「ふんばろう東日本プロジェクト」は、プロジェクトというようなものではなかった。ただ自分がいてもたってもいられずに、北川さんとじゃあ行きましょうということになり、ペーパードライバーの自分を心配した松前さんが僕が運転するよといってくださり、両親も協力してくれた。

実家の父は、自分はボランティアなんか興味ないが、剛央に巻き込まれた、といっている。そういいながら、僕らが帰っても津波主被災地を一人で回ってつながりを作ってきている。感謝されたり喜んでもらえたりしたらそれは嬉しい。しかしそういうのがなくても別にいいと思えることが大事だと思う。

僕は咳き込みながら必死に現地の説明をする布田さんの話を聞いて、自分のできることはぜんぶしたいと思った。それだけでいいのだ。それを実現するのにどうしたらよいかと考えればよいのだ。

プロジェクトなどというものは事後的につけたものに過ぎない。最初はとにかく現地にいってみようと物資を満載して何も調べずに現地に行き、あまりの悲惨さに全員が言葉を失い、みうらさんに出会い、必要なところに物資を届けることができた。

それ自体が喜びになったのは僕らが何かをしたかったからだ。あれだけの壊滅を見せつけられたあとに、少しでも何かができること自体が救いだったのだ。

僕らは避難所に長く居ることもなかった。ただ必要とされるものをおいてすぐに次のところにいった。取材をしようという気持ちもなかった。たまたま最後の方の避難所でそういう話になったので現状を聞いていただけだ。

子ども達がおもちゃをきゃっきゃいってもっていった姿にはみんなが癒された。そこには少し長くいたと思う。みうらさんとさとうさんと話をしたのはすべての荷物をもっていってもらってからだ。そこで実際に津波がきたときの生々しい様子を佐藤さんが語っているのをただ聞いていた。

その後、地元の名士のみうらさんに送れば周囲の必要とするところに配ってくださるというので「必要なものは全部送ります」といってみんなで握手をした。それがこの支援の最初の一歩だったのだ。そこにはシステムもプロジェクトもなかった。ただ人が人を支援したいという気持ちだけがあった。

帰りは海岸線をずっと下りながら走り続けたが、ことごとく壊滅していた。ところどころで避難所があり、ゴーストタウンのようになった水没して真っ暗な街があった。

僕らは夜遅く南三陸町から帰ってから、僕は何かを書かずにはいられなかった。取り憑かれたようにTwitterでそれを書き続け、「南三陸町のレポート」と「ボランティアが足りているというのは幻想です」という二つの記事をブログにアップした。

翌日の朝7時頃、16万人のフォロアーがいる津田さんが「これは読むべき」と勧めてくれたことをきっかけに1000人単位で人が増え続けた。これなら有名な人にRTをお願いしなくてもサイトに必要なものをリストアップして、それをTwitterで拡散すれば必要な物資を集められる。

北川さんは一人でそのサイト構築をはじめた。実家のぼろ屋の茶の間の片隅で僕らはキーボードを叩き続けた。午後にはサイトは完成し、僕はその情報をTwitterで流し、前日に橋が落ちていていけなかった雄勝に向かった。

だからそんなものなのだ。もともと自分たちのやりきれない気持ちをどうにかしたくて、また縁があった人たちをどうにかしたくて始めたことが、想像もしないうちに大きな流れになったということなのだ。

けどそれが一番大事なことなのだと思う。多くの行政や組織も人を幸せにするためにあるはずだ。それがやり方の厳密さ正しさに囚われることで、ときに人を幸せから遠ざけてしまう。

僕らは絶対にそうなってはならないと思う。

魂を失ったら、意味はないのだ。




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(早稲田大学大学院商学研究科MBA講師 西條剛央 Twitter(saijotakeo))

・転載等ご自由にどうぞ。

・「絶望と希望:南三陸町現地レポート」→http://getnews.jp/archives/108425

・「ボランティアが足りているというのは幻想です。今こそ立ち上がりましょう。」→
http://p.tl/Et71

・「マイナー避難所の支援方法とコツ」→http://p.tl/RGLx

・岩上安身との対談Ust中継→http://p.tl/Wsnb

・「広くわかりあうための疎開論、不謹慎論、ポスト3.11.原発論、社会構想論もぜひご参照のほど→http://p.tl/7we5?

・ブログトップ→http://plaza.rakuten.co.jp/saijotakeo0725/





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Last updated  2011/04/09 12:57:15 PM
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