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武蔵野航海記

武蔵野航海記

夜這い作法

自分で会社を興し大きくした方とアメリカでお会いしたことがあります。
そのときは息子を社長にして、自分は会長となっていました。

「引退する前に海外も視察しないとな」と仰っていました。

その会長は西郷隆盛が大好きで、そのお話が面白かったので昨年鹿児島旅行をしたのです。

ある晩お酒が回ってきて、会長さんは昔話をはじめました。

「わしが中学校を出た後、兵隊に行く前の時分のことじゃった」。というから戦争前で、会長さんが18か19歳のときの話ですね。

以下の話は会長さんが語ったことですが、私自身でも民俗学の本などを調べた結果、事実だろうと思っています。

会長さんが生まれ育った村には、「若衆宿」がありました。

「若衆宿」は今の日本では絶滅してしまいましたが、戦後の一時期まではあったようです。その名残が今では村の「青年団」になっています。

又、「若頭」「組頭」という名称は、今でもやくざの世界に残っています。
薩摩の「郷中」も若衆の発想ですね。

阪本竜馬が夜這いをする話が、司馬遼太郎の「竜馬が行く」に書いてありますから、土佐の郷士にも若衆の伝統があったのかもしれません。

今でも、ブータンなどヒマラヤの麓の国々にはある様です。

幼児期を脱し母親の手を離れた男の子は、結婚して一人前になるまでの間、若衆組に所属するというのが基本です。

徹底した若衆組は、家を持っていて若衆全員がそこで寝起きします。そこまで行かない組は、頻繁に集会をしレクリエーションをして結束を維持します。

台風・洪水・山火事などの自然災害や、村の治安維持活動で一番頼りになるのが若衆組です。

従って、若衆頭は非常な権威を持っていて、村の公式な打ち合わせの場では、庄屋さんが羽織袴で若衆頭と会ったそうです。

年長の若衆が年下を指導教育するという役割もありました。その先輩・後輩は強固な絆で結ばれています。

西郷隆盛は、云わば薩摩の若衆の総若衆頭だったのですね。

この発想はどうやら西欧にもありそうです。
古代ギリシャのスパルタでは、市民は30歳になるまで寝起きを共にしていました。

哲学者のソクラテスはアテネの市民でした。
アテネの市民は戦争のとき、先輩と後輩が組になって行動していました。

ギリシャ人は男色の習慣がありましたが、これは先輩と後輩の関係がそこまで行ってしまったケースです。

お互いに相手にいいところを見せようとするから、戦場で勇敢に戦うのです。

ソクラテスは醜男でしたが、その恋人はすごい美男子だったそうです。

日本の男色の習慣もこれと同じでしょうね。

会長さんの村では夜這いは、3人が一組で行いました。

若衆の年長者がヒーローで、後輩二人は見張りと下駄持ちを担当します。ヒーローの下駄を持って逃げる役です。

二人の後輩達はヒーローの補佐役であると同時に証人でした。

若衆という村の正式な組織が行うということからも分かる通り、夜這いというのは非合法なことではなく、公認された行事でした。

少年達は先輩であるヒーローについて行って、大人としての社会勉強をするわけです。

目的の家の近くに来ると、ヒーローは下駄を脱ぎ、少年二人も部署につきます。

私は会長に質問しました。「村で公認されているのであれば、なぜ見張りや下駄持ちが必要なのですか?」

「色々邪魔が入るからのう」というだけで、それ以上に納得の出来る説明はありませんでした。

後輩二人は本来必要ないと私は思います。彼らに社会勉強をさせるために先輩が連れているということの様です。

色々なテクニックが伝承されていました。

犬を黙らせる方法や雨戸を音を立てずに開ける方法などです。

年頃の娘のいる家では、親子三人が同じ部屋で川の字になって寝ています。

父親は部屋の奥で枕元に木の棒を置いて寝ています。

母親は出入り口にいて、真ん中にヒロインが寝ています。

ヒーローは目指す部屋に忍び込むと、ヒロインの枕元で自分の名を「呼ばう」のです。よばいとは「呼ばい」が本来で「夜這い」は当て字です。

狭い社会ですから、名前を聞けばヒロインは分かります。

「こいつは嫌だ」と思ったら、ヒロインは隣の父親を蹴飛ばします。

親父は枕もとの棒を掴んで殴りかかります。

棒で殴るのは可哀想だが、好きではない場合は、母親を蹴飛ばします。

母親は大声で騒ぎます。

ヒロインが何もしなかったら、何も起こりません。両親は寝入ったままです。

ヒロインが相手を気に入ったら、静かに進行します。

後輩達は、こうしてどんな男がもてるのか、どうしたら魅力的な男になれるかを実地に学ぶのです。

会長さんが夜這いをした相手は何人もいた様です。

「夜這い」とは古代の「妻問い」と同じですね。男が通わなくなると、女にはもう別の男が通い始めます。

或いは、男も女も複数を同時平行で進めることもあったようです。これはもう源氏物語の世界です。

光源氏と頭の中将が女の所でばったりという場面もありましたね。

「複数の男が通っているうちに娘のお腹が大きくなったらどうしたのですか?」と私が聞くと、会長さんは「大きな問題にはならんかった」と答えてくれました。

会長さんの説明は断片的だったので、私の推定も入れてつなぎ合わせると下記のようになります。

初めに、父親の可能性のある男をリストアップします。若衆たちが、あの娘の所に何時、誰が通ったか情報を収集します。

ヒーロー達の補佐役を勤めた少年達の証言を集めるのです。

当の娘は、この父親候補リストの中から一人を選びます。
この娘の指定に反論することは許されません。

選ばれた幸運な男は、やがて生まれてくる子供の父親とされます。同時にその娘と祝言を挙げます。

夜這いをかけるということは、他人の子供の父親になるというリスクを犯すことでもあるのです。

こういった掟が守られたのは、日本では血縁関係が意外と重要視されていなかったからだと思います。

チャイナやコリアなど血族の結束の強いところではこういう解決策は不可能だろうと思います。

日本では、血縁関係のない男を養子にして家の跡を継がすという習慣がありますが、これは日本だけの習慣ではないでしょうか。

チャイナやコリアは勿論のこと欧米でも、このような養子はありません。

英語のAdoption は日本の養子とは違います。貰われた子供には相続権がないのです。相続はあくまで血のつながった子孫だけが出来ます。

日本の社会というのは、東アジアの他の諸国とは非常に違うというのが私の印象です。


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