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sakapon67の釣行記

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2014.01.08
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カテゴリ:その他




12月30日の京都新聞に、『初詣 朱印めぐり京都16社 開運』が一ページ全面に渡って乗っている。よく見ると、北は『わら天神宮』や『御霊神社』南は長岡の『長岡天神』、伏見・桃山の『御香宮』東は『熊野若王子神社』等々ですが、どちらも参拝したことのない神社ばかりです。


2月15日までに、16社全部参拝した方に『参拝記念の午支置物』を最終神社で差しあげます。・・・となっています。正月明けたら、何日掛るか分らないけど京都一周の旅をいっぺんやって見よう・・の気持ちになってきた。





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愛車のナビに16社全部を登録して、よくみると一番近い近所の『吉祥院天満宮』まで3kmです。

1月4日(土曜)午後から、妻のメガネの購入の為「吉祥院眼鏡市場」に行きました。妻を降ろし、試しにここから徒歩で


一番目の、『吉祥院天満宮』立ち寄って覘いて見た。

当宮は、菅原道真公がお亡くなりになって31年目の承平四年(934)に建立され、受験合格・開運招福する 学問の神様のようで、受験合格、開運招福の神様のようです。




14010916sya01.gif





14010916sya02.gif等を

本殿





見学して、眼鏡市場に戻って見ると妻が待っており今日はここまで・・ と 帰宅します。





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1月5日(日曜)、ナビの『京都十六社朱印めぐり』を検索して、今日は『六尊王神社』~『西院春日神社』~『わら天神宮』の参拝くらいまでかなぁ・・等と考えながら設定し、自宅を出立します。


デジカメ・携帯を持ってきてないので、とりに帰るのも面倒ですので、ブログは画像なしで投稿しよう・・の気持ちで目的地の『六尊王神社』を見つめます。



二番目の、『六尊王神社』は、

境内中央の池を神龍池といい、その側に王の長子満仲公 誕生のおり井戸上に琵琶湖の竹生島より弁財天を勧請し、安産を祈願し産湯に使ったと伝えられている。江戸時代五代将軍綱吉の時代に現在の本殿・拝殿等建物が再建された、「出世開運・家運恒昌」が守護神のようです。

ここでは 10分程参拝で退散し、次に向かったのは、『西院春日神社』です。



三番目の『西院春日神社』は、

天長十年(833)に淳和天皇が淳和院(西院)にお移りになった際、奈良春日大社よりご分霊を迎えられてお祀りされた事に由来します。病気、厄除け、交通安全の神様です。



ここも20分位で退散です。次は5分ほど走行して『わら天神宮』に行きます。



四番目の『わら天神宮』は、

天長八年この地に氷室が設けられ、その夫役が加賀の国より移住し、その地で崇敬していた管生石部神の分霊を勧請して、子々孫々の氏神とすべく、北山の神の西隣に祀って、祭神を管生石部神の御母木花開耶姫命と定める。
安産、子授け厄除けの神様で、ここには仰山のお客さんが参拝されています。

40分程ここで少し長く滞在です。ここで丁度昼食の時間になりましたが、迷いましたがお腹が空かず、続けて、次の最北端の『今宮神社』にセットです。 最北端の



五番目の、『今宮神社』は、

一条天皇の御代正暦五年(994)六月、当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った・・の言われがあり、健康長寿、良縁開運の神様のようです。次は『御霊神社』に向かいます。



六番目の『御霊神社』は、


平安遷都にあたり延暦13年(794)桓武天皇が平安京の守り神として早良親王(崇道天皇)の神霊をおまつりされたのが当神社のおこりです。ここでは、厄除開運、学業成就の神様です。



七番目の『京都熊野神社』は、

弘仁二年(811)修験道の始祖役小角(えんのおづぬ)の十世僧日圓が、国家護持のために紀州熊野大神を勧請したのに始まる。平安末期後白河法皇は度々熊野詣を行われたが、当社にも厚く尊信をよせられた。縁結び、安産、病気平癒の神様のようです。



八番目の『東天王・岡崎神社』は、

桓武天皇、延暦十三年(794)の平安京遷都の際、勅願により王城鎮護のため平安京の四方に建立された神社で、子授け、安産、厄除け、縁結びの神様です。



九番目の『熊野若王子神社』は、

永暦元年(1160)後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請せられ祈願所とされた正東山若王子の鎮守であったが、明治初年の神仏分離によって当社のみが今日に残った。学業成就、商売繁昌の神様です。




十番目の『市比売神社』は、

ここは、狭くて車の駐車に困りました。一キロ程離れた100円駐車場に駐車して、漸くたどり付いてみると、大勢の女性参拝者です。

御祭神は全て女神様をお祀りしているところから女性の守り神とされ、全ての女性のお願い事にご利益があります。全国から女性がお参りに来られます。勿論、女人厄除の神様です。5日にも関わらず女性で満員の状況でした。



十一番目の『豊国神社』は、

慶長3(1598)年8月18日、天下統一を果たした英傑豊臣秀吉公は伏見城においてその波乱に満ちた生涯を終えられた。御遺骸は遺命により東山阿弥陀ヶ峯の頂に葬られ、翌慶長4年、中腹に秀吉公を祀る豊国社が創建された。出生開運、厄除招福、良縁成就、商売繁昌の神様です。



十二番目の『粟田神社』

貞観18(876)年に国家と民の安全を祈願する為に全国の諸神へ勅使が遣わされ、その際従五位上出羽守藤原興世は祇園社(現八坂神社)にて七日七晩祈願されました。
その満願の夜、興世の枕元に老翁のお姿の大己貴命が神託を告げられました。興世は神意なりと朝廷に秦上し、勅命により社を建てて御神霊をお祀りされました。旅立守護、厄除の神様です。

16社の中では最も高台に位置し、この地から見下ろした京都市内の眺めは最高で印象的でした
昼食抜きでここまで来て、時計を見ると、PM4:00過ぎです。あと一時間で、次の



十三番目の『新熊野神社』に到着です。

後白河上皇は紀州国(和歌山県)の熊野の神を勧請、1160年熊野の新宮、新熊野神社を創建した。その際、熊野の土砂材木等で、社域を造成、社殿を造営、那智の浜の青白の小石をまき、熊野をここに再現した。お腹守護の神様です。



十四番目の『藤森神社』は、

夕方と言うのに無料駐車場は仰山あり整理係がまだいますが、当社は、今から約1800年前に神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社です。

勝ち運と今年の勝午の神様のようで、『フ~ンそんな神様もあるんだ?』・・と感心しきりです。

辺りが暗くなってきてデジカメを撮ってないのでこんなに早くこれました。今日最後の



十五番目の『御香宮』に向かいます。

貞観四年(863)九月九日、境内に大変香の好い水が湧き出て、この水を飲むと病がたちまち癒ったという奇瑞から清和天皇より「御香宮」の名を賜った。天正十八年(1590)天下統一した豊臣秀吉は当社に願文と太刀を奉納、伏見築城に際し、鬼門除けの神として城内に勧請した・・との言われがあり、安産、厄払い、病気平癒の神様として祭られているようです。



辺りはも真っ暗で最後の『長岡天神宮』は明日に参拝しようと決め 帰宅です。







・・・・次回に続く・・・・









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最終更新日  2014.01.10 15:58:35
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