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テーマ:今日の出来事(286816)
カテゴリ:詩情俳趣
寿永三年二月七日の合戦で、十六歳の若武者平敦盛は、沖の平家船に向かって駆けていたところ、熊谷次郎直実が泣く泣く彼の首を斬った話しで有名。
敦盛の墓は須磨寺にあるが、敦盛塚は須磨海岸にあり、6年前に敦盛忌(旧暦で3月7日)に偶然臨席したことがある。 長田高校の合唱団が「青葉の笛」「早春賦」を唄ったが、まさに春まだ浅く浜の風が冷たいなかで、敦盛の哀れを偲んだ。 青葉の笛 一の谷の 軍破れ 討たれし平家の 公達あわれ 暁寒き 須磨の嵐に 聞えしはこれか 青葉の笛 早春賦 春は名のみの 風の寒さや。 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず。 時にあらずと 声も立てず。 須磨寺は自由律句の尾崎放哉が僧として一時過ごしたところであり、 「こんなよい月を ひとりで見て寝る」の句碑がある。 芭蕉も蕪村も訪れて詠んでいる。 蕪村の句 「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」(須磨浦海岸) 「笛の音に 波もよりくる 須磨の秋」(須磨寺) 当時詠んだ拙句 春は名のみ若き歌声敦盛忌 須磨の春敦盛しのび鐘一打 花いまだ放哉も打ちし鐘の韻 鐘のおと山より浦へ春霞み お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年02月07日 21時30分50秒
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