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お奨めの一冊、「江戸川柳で現代を読む」(小林弘忠著 日本放送出版協会)より、川柳二句をご紹介します。
店中の尻で大家は餅をつき 店は「たな」と読みます。店中(たなじゅう)とは長屋を間借りしている住人すべてということになります。大家(おおや)とは、もちろん長屋の大家さんのこと。 ずいぶん前のことですが、古典落語の一節にこんな場面が出てまいりました。 長屋の遊び友達のところにやってきたワル友達が、そこの大家(おおや)にやり込められて退散する時に吐いた捨てゼリフ。 「こんな長屋、二度と来てやるもんか!糞どころか屁もひってやんねぇ~!」 前半の二度と来ないというのは分かりますが、後半の糞も屁もしないというのが分かりづらいですよね。実はその疑問を解く鍵が冒頭にあげた川柳にあるのです。 当時の長屋は、4畳半一間と土間がついているだけ。井戸とトイレは、長屋の店子(たなこ)すべて共同。だから、トイレは街の共同便所の働きもしていた。 そして、当時の江戸は世界一の人口都市でありながら、世界一のリサイクル都市でもあった。すべてがリサイクルに回された。古着や傘はもちろん、修理のできない鍋釜、ちり紙、障子の破れ紙、かまどの灰まで、ありとあらゆるものを取っておけば、専門の業者が長屋を巡ってきてはそれらを回収し、いくらかの代金を払ってくれた。 当然、長屋の住人の糞尿は、貴重な有機肥料として、高価に売れた。ナントその収入が年間4~5両にもなったというのですから、餅どころか正月支度ができて、まだおつりが出た。 冒頭に上げた句は、そんな長屋の住人の大家(おおや)への羨望を詠んだ句だったのです。 理解できないでいた落語の一節も、この本を呼んでやっと分かりました。だから、新しい店子(たなこ)が入居すると、大家(おおや)は店賃はもちろんのこと、正月の餅代のことまで思いをめぐらし、密かにほくそえんだのでしょう。 肥取りに尻がふえたと大家言い そんな大家(おおや)でも、店子(たなこ)にとっては親同然。いろんな世間の困りごとは、いの一番に大家に相談したそうで、大家も親身になって店子の世話をしたというのです。 決して豊かとはいえない毎日であっても、文句の一つも言わず、川柳の中で明るく愚痴って気を紛らす江戸人って、スゴイと思うのです。物質文明にどっぷり浸かり一見恵まれたようにみえる現代人には、とても真似ができません。 時を300年余り遡り、江戸の町長屋に舞い戻って、長屋のトイレを借りてみたくなるくらいだと言ったら、読者はばかばかしいと笑われるでしょうか? 3月にもこの本より二句、当時の江戸市民の人情の機微がうかがえる川柳をご紹介ししております。合わせてお読みいただければ幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年07月07日 12時05分09秒
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