カテゴリ:ひとり言
イタリア中部で24日未明に発生した大地震による死者は、25日までに250人に達したと報じられています。 熊本地震や東日本大震災を思い浮かべた方多くいらっしゃるのではないか。人知を超えた自然災害の前には、人は無力であるということを思い知らされるのみです。 わが国では古くから「地震、雷、火事、親父」と言われてきました。「親父」を人知を超えた自然の猛威にたとえて、「親父」の誇り高き威厳を強調した諺だというように理解していましたが、実は一番最後の「親父」は、「おやじ」ではなく、「大山風(おおやまじ)」すなわち「台風」であるということを物の本で読みました。 なるほど言われてみれば、どう考えても現代の「親父」は自然災害ほど恐ろしくないのは明らか。語源としては「やまじ」説の方が説得力がありますね。 しかし、言葉のおもしろさという観点からは、「おやじ」説のほうがはるかに勝っているでしょう。 たとえその中に人知を超えた自然に対する畏敬があるとはいえ、言葉としては同種のものを4つ並べただけですから、「大根、人参、セリ、かぶら」のようなものです。 まったく何の意味合いもないのですが、言葉遊びとしては「大根、人参、セリ、カツラ」の方が、健康をイメージさせる野菜と不健康なおやじのはげ頭を連想させるカツラを対比できて面白いのと同じです。 ・・・えぇ~、私としましては、ご多分に漏れず「威厳」という言葉の響きすらしない「おやじ」の一人として、「おやじ」は恐ろしいんだ、ひょっとして地震・雷・台風以上だぞと解釈できる「地震、雷、火事、親父」説を熱烈に支持したいと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年08月26日 14時54分24秒
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