テーマ:猫のいる生活(135583)
カテゴリ:猫
以前、叔母に、我が家の猫の数だけ猫のお手玉を作ってもらったことがある。7匹いたから7つ。 どの猫がどのお手玉というわけではなかった。しかし、ニコが死んでしまうと、なお7つあるのが哀しかった。といって、6つにするのは、よけい切ない。でも、死んでしまったニコの分をいっしょにおくなら、もうひとつ加えたかった。ニコより前に、幼くして死んでしまったさくらの分も。 今回、叔母のところにいったら、その願いが早くも叶った。誰にやるあてもなく作っておいたというのが3つあって、そのうちの2つをもらってきたのである。そう、1つでなく2つ。 1つ余分のようだが、それは、タマちゃんの分。タマちゃんというのは、うちで暮らした子ではない。さくらの墓参りに行く途中、農道で車にひかれたままになっていた捨て子だった。タマちゃんと名づけて、「さくらの友達になってよね」とか、「ふたりならさみしくないよね」とか、話しかけながら、さくらと同じ山桜の下にそのなきがらを埋めてやったのだ。 余分にあったお手玉を見て急に思いついたなんて、タマちゃんには申し分けないけれど、そういうわけで、猫のお手玉は9つとなった。 猫好きの私のために、親戚のTおばさんがつくってくれた特製のお手玉7つ。我が家の猫の数といっしょである。 Tおばさんは、昔はお裁縫が得意だったけれど、いまは、年のせいで眼が悪くて、あまり大物は縫わない。気の向くままに、お手玉や巾着袋などの小物を作っては、人様にプレゼントしている。もう数え切れないほどこしらえたという。 特にお手玉は、老人ホームの人たちに人気があるという。Tおばさんは、自分でも年寄りなのに、「ホームのおばあさんたちはね、なつかしがって、すぐ手にとって、イチバンハジメハイチノミヤー♪ってやりだすんだって」と眼をほそめる。 外国人にもよろこばれ、Tおばさんのお手玉は海を越え、オーストラリアやインドにももらわれていったという。 素朴ながら日本の伝統的な玩具であるお手玉は、とんと影が薄くなってしまったかにみえるが、こんな風にまだまだ息づいているのである。 Tおばさんは、私に猫のお手玉を手渡しながら、そして渡してからも、くどいほどいうのだった。「眼が良く見えないから、縫い目がそろってないよ。みんなちがう顔になっちゃったよ」 私もそのたんびおなじ言葉を繰り返すのだった。「おばさん、私はそのほうが好き。だってうちの猫たち、全部ちがう顔しているもの。おなじだったらつまんないわよ」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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