越後豪農と城下町めぐり・北方文化博物館
10日午後から、「豪農の館」に案内していただきました。越後は、当時の豪農ランキング日本ベスト10をあげるとしたらそのうちの5人が越後にいたそうです。裕福な土地だったんですね。その中でも1位の「伊藤家」。すごかったです。もう何もいうことがない広さでした。敷地面積もすごいけど、建物だけで1200坪だったかな?普通50坪の家を建てるだけでも、大変なのに、その家が24軒も建つわけですよね。迷子になりそうな広さでした。こういう家を一人で掃除するのは大変だからお手伝いさん何人も必要だよね~という話をしながら見学してきましたが、HPを見ると「明治なかばの頃の伊藤家には、番頭3~4人、家族直属の女中5人位、子供一人に乳母が一人ずつ、中奥の女中5人位、勝手女中5人、畑で野菜を作る作男6~7人、そしてこれらを統括する女中頭、台所番頭、3人程度の大工と人足10人、石屋、鍛冶屋、瓦職人もおり、家族の他に60名近い使用人がいたと言われいます。家族と60人の使用人の食事のために、炊かれた米は毎朝1俵(60kg)で、正月と小正月の餅が百臼、魚屋が毎日亀田から通い、酒は一斗樽が何本も運びこまれたそうです。」だそうです。越後の蒲原平野には信濃川と阿賀野川の大河があり、阿賀野川沿いの横越町(現新潟市)にある戸数三百余りの集落を「沢海(そうみ)」といいいます。ここ沢海の歴史は古く江戸時代の初期、慶長15年(1610年)から77年間は沢海城という城があり、11,000石のささやかな城下町として栄えていたと伝えられています。沢海城の築城以前は囲いの堤もなく、洪水の際には一面が水に押し流され、水が引き落ちても窪地に水がたまり、沢のようになるので「沢海」と名付けられたと言われています。その後、沢海は天領となり、代官所、続いて旗本小浜の知行所が置かれていましたが、明治2年(1870年)に藩籍奉還となり、武家による社会は終わりを告げました。このような歴史の中、江戸時代中期、農から身を起こし、やがて豪農への道を歩み、代を重ねて巨万の富を築いていった一族が伊藤家です。全盛期には、1市4郡60数ヶ町村に田畑1,370町歩(1,372ha)を所有し、越後随一の大地主として、その名は県下に鳴り響いていましたが、農地解放により広大な農地は伊藤家の所有を離れることになります。この伊藤家の屋敷と住宅が、現在の北方文化博物館で、別名「豪農の館」と呼ばれています。現在では、かつてのお城も代官所も、小浜時代の知行所も跡形もなく、ただ、かつて豪農の館、伊藤家だけが、昔の面影そのままに、数々の歴史を秘めて残っています。宝暦六年(1756年)江戸中期。天領越後沢海の地に、一町二反九畝二十九歩(約13,000平米)の畑を与えられて一人の百姓が分家しました。一人の百姓は、代を重ね、やがて豪商から千町歩(1,000ha)以上の土地を持つ新潟県下一の大地主へと歩んでゆきます。 三楽亭は、本邸が完成した明治22年(1889年)から手がけられ、各々苦心の末、2年後の明治24年(1891年)に竣工した、世にも稀な正三角形の建物です。三楽亭はもともと六代当主の書斎として建てられたものですが、水屋もあり茶室としても使用できます。当時の当主はここを「浩元房」と名付けましたが、一般には、単に三角間と呼ばれていました。 でも、時代劇や日本昔話に出てくる「豪農」は人間の出来てる人と、強欲なだけの人と2タイプいるみたいですが、こちらの方はもちろん人格者のようです。館内に掲げられている扁額「君子居中庸」「倹以養徳」は伊藤家当主の理念、家風を表し、また伊藤家の小作人に対する心遣いが感じられる「田地買うなら精々悪田を選び、悪田を美田にして小作に返すべし」という家訓は現在も息づいています。こちらの建物には、今も八代目の方が住んでらっしゃるそうです(そこのスペースは非公開でしたが)。そうそう。おばさんのお楽しみのひとつ。今回案内していただいたスタッフの方・・・結構イケメンの方でした。誰に似ているか考えていたのですが、「楽天の岩隈投手」をちょっとあっさりした感じ系。↑こういう感じ。「春になったら、藤がきれいですからまたいらしてください」といわれました。本当に新潟の男性って次につながる誘い方がお上手で(*´ー^`)ゞてへへまた来てみたくなります、本当に♪この写真のやや真ん中にある平らな緑の木は一本の藤からなる藤棚です。ここが一面、紫の花が咲き乱れる藤棚が見えるベストポジションなのだそう。ちなみに昨年の様子は越後豪農の館では、藤の花が満開という記事に写真が掲載されてます。すごいですよ♪それから売店やレストランもそろってましたが、今回は食べる時間はそうなかったので売店で「越の寒梅」の小さいサイズを買ってきました(お土産用)。お友達は、ガイドさんお勧めの「雪中梅」だったかな?地元ではこちらがかなりの人気なのだそうです。やっぱり、行ってみないとわからないものって結構ありますよね。都道府県別 日本酒・焼酎・泡盛の酒造所と代表銘柄一覧あと、新潟のアイスクリームも販売されていたので、もちろん買いました(笑塩アイス最中だったかな?(写真を撮るのも忘れて食べてしまいました)北方文化博物館北方文化博物館(豪農の館)豪農の宿 北方文化博物館(伊藤邸)の周辺検索結果so038 豪農の館(横越町沢海)歴史ある北陸の住まい(新潟県)~「北陸の住まい考」kanon | 北方文化博物館 (前編)by:ちび子