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カテゴリ:本の話
今年、2008年は「源氏物語千年紀」。
世界最古の長編小説とも言われる「源氏物語」ですが、そもそも、いつ書き上げられたか時期は特定されないはず・・・。 ところが、1008年(寛弘5年)11月1日の紫式部日記に、作品の一部が当時の貴族の間で読まれていたことを示す記述があるため、今年がミレニアムイベントの年となったようです。 学生時代、古文も漢文も「試験のためにイヤイヤ勉強する」ものでしかありませんでした。 「源氏物語」も、大和和紀さんの漫画「あさきゆめみし」を通読したおかげで、一通りのあらすじや登場人物は頭に入っているものの、原文はおろか現代語訳も、通して読んだことがありません・・・ そもそも、古文の授業で源氏が取り上げられたとき、先生から 「この当時の平安貴族は、今の私たちとは全然違うんです。失恋したショックで命を落とすくらい、ひ弱だったのよ」 という話を聞いて、ナンじゃ、そりゃ???と驚かされ・・・ 以来、私にとって王朝文学の登場人物たちは、自分たちの祖先というよりはおとぎの国に出てくる妖精のような存在。 同じ人間として捉えるには、納得できないことが多すぎる、という印象でした。 あれから二十年以上の時間が流れ、当時と今との価値観や生活様式・社会背景の違いも理解し、それなりに人生経験も積んだ今なら、どんな風に「源氏」を楽しめるだろうか?と思います。 私は学校の先生から、源氏の現代語訳については「文法的に正確なのは谷崎訳、でも読みやすいのは田辺聖子版」と教わりました(当時は、瀬戸内寂聴版はまだ世に出ていなかった)。 この「源氏紙風船」は、その「新源氏物語」を上梓された後、田辺聖子さんが書かれたエッセイです。 戦前(戦中)の『女専の国文科』でみっちりと古典の教養を叩き込まれている方だけに、文章、文体に対する洞察は深く、なるほど古典文学はこのように味わうのか、と驚かされます。 若い頃にはわからなかった物語の魅力が、中年になって読むとしみじみと感じ取れる・・・ 「源氏の傲慢も思い上がりも自負も、いまの私には面白いのである」 と書く一方で、 「源氏はあまたの恋を経験しながら、ついに粋人になれなかった。彼は、一大野暮の骨頂なのである。」 と、その客観的な批評はあくまでも鋭く。 源氏にまつわる様々な角度からの考察や、古典を近代小説として魅力的に読ませるための、現代語訳の「種明かし」が盛り込まれ、私のような“源氏未経験者”でも、ちょっとした「知的冒険」が楽しめました。 「女は観念愛では救われない」 「愛されているかどうか、確信のもてないとき、人は別れないものである」 「女性ののぞみは、数多の中で一ばん、というのではない。ただ一人の女として、ただ一人の男に愛されたいのだ。永遠の食いちがいである」 ・・・などなど、随所に盛り込まれたアフォリズムは、まさにおせいさんの真骨頂。 最終章「紫式部という女」の、与謝野晶子や清少納言を引き合いに出しながらの評論は、紫式部という女流作家の謎を解き明かす探偵小説のようで、スリリングな歴史ミステリのような面白さがありました。 甘やかで、夢々しい「オナゴ文化」に魅入られながら、その一方で、客観的で透徹した批評眼で人間というものを観察する。 田辺聖子という作家の目を通して描き出された「源氏物語」、そしてそこから浮かび上がる人間の業、おかしさ、哀しみに、じっくりと触れてみたくなる・・・絶品の文芸エッセイです。 目次) ◎「源氏」は面白い小説か? ◎源氏という男 ◎女は布帛を愛す ◎女は什器を愛す ◎女はセレモニーを愛す ◎紫の上という女 ◎埋める作業 ◎私の好きな文章 ◎紫式部という女 【新潮文庫版は現在品切れだそうで・・・Web版のダウンロードで読めます】 源氏紙風船 【書籍としては、田辺さんの全集(15巻)に収載。】 田辺聖子全集(第15巻) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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