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馬鹿はシネマで直らない

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2007年07月14日
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カテゴリ:ドキュメンタリー
 アジアで植民地化されていた各国が第二次世界大戦が終わるやいなや次々と独立の狼煙をあげはじめる。特に激しいのはインドやベトナムで、独立闘争とは違う戦争が激しいのは中国だ。
 まぁ、彼らは日本をこてんぱんに追い返した時点で独立戦争には勝利したようなものだった。他の列強各国が介入しようとすれば日本の二の舞になるのは目に見えていたのだから内乱に打ち込めるというものだ。

 インドではやはりガンジーだが、インドではなく旅行先の南アフリカでの経験が彼に火をつけたのが興味深い。インドほど規模の大きな国ではイギリスも派手には動ききれず、本性を現さなかったが南アフリカではそれが見えたと考えられる。
 彼がイギリス本国へ陳情に行った時に、向こうはインドの各民族の代表87人を呼び寄せる事でガンジーの発言を牽制したエピソードは、さすがに植民地支配になれた大英帝国だと思わせられた。それでも所詮は時間稼ぎにすぎなかったわけだが……。
 晩年には影響力の低下が悲しい。彼の夢は人の心に火をつけるには良かったが、独立する民衆の心は暖かい火ではなく熱い炎に支配されていた。
 塩の行進や糸車運動などイギリスの経済的な支配を草の根活動から跳ね返そうとする発想は非凡で優れたものであっただけに残念だ。

 ベトナムはホーチミンだが彼の活動は国内に留まらずにアジア各国で活発に展開されていたのが気になった。中国やインドと違ってベトナムの規模では国際的な視野も求められる。そこを確保できたから彼は指導者になれたのだろう。
 ディエンビエンフーはベトナム軍が優れていた以上にフランス軍の失策が圧倒的だったという話だけれど……そりゃあWW2で電撃戦の洗礼をうけたあげくの密林ゲリラ戦では彼らのドクトリンも無茶苦茶になるだろうさ。

 扱いは小さかったがスカルノの日本を徹底的に利用してやろうとするアクの強い意志にも感心した。あれくらいの機会主義者でなければ革命を起こすことは難しいのだな。
 話の裏では朝鮮戦争が激しく戦われているはずだったが、東西の傀儡政権の顔がでてきたに留まった。おそらく他の巻で取り扱われるのだろう。

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最終更新日  2007年07月14日 12時44分31秒
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