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馬鹿はシネマで直らない

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2007年07月29日
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カテゴリ:ドキュメンタリー
 50~60年代の東西冷戦対立についてニキータ・フルシチョフの視点に重きをおいて紹介する。かたや自由の国のケネディは暗殺され、恐怖政治社会のフルシチョフは軟禁にとどまった差はなんだったのだろう。
 自由の国では国家元首を殺す自由にも目覚めやすいと言う事か――王制国家で王を殺すという発想そのものが滅多に湧いてこない。

 いちばん重視されていたのはベルリン問題で、ついでキューバ、北朝鮮という感じ。ハンガリー放棄も無視できない事件なのだが、東側内部の問題は目立たない傾向がある。あの映像資料は戦いの後に西側に亡命した人がもっていたのだろうか。

 戦後すぐに米ソがはじめた核兵器とロケットの開発競争はまったく熾烈で、ここでどれだけ二大国の産業が狂ったか、想像するのも恐ろしい。特に独裁者の命令を受けたソ連の生産力集中は無茶苦茶なものだったろうと推察される。
 本当は戦後の軍縮と、揺り戻しがあって然るべき時期なのにちょくせつ東西対立に移行してしまったのは、第二次世界大戦前の問題がドイツの戦後問題と社会主義の二種類であったのに、けっきょく一方しか解消できなかった事にある。
 ドイツとソ連がまとめて叩き潰されていれば、格の扱いもだいぶ変わっていたはずだ。その場合はおそらくソ連本土は何発か核を叩き込まれることになっただろうが、大気圏内核実験の連発もそれはそれで酷かったからなぁ……。

 東から西へのベルリンを経由した亡命者が170万人に登るのには驚いた。中規模国家の人口に匹敵する人数が移動してしまえば脅威におもって当然だろう。ただ、社会主義の方が優れていると主張しながら国内政治で解決できずに壁を作るのはかなりの敗北宣言のような気もした。その点はどう考えていたのやら――フル狸も政治家だから矛盾なんぞ知ったことではなかったかもしれない。

 アイゼンハワーは良くも悪くも軍人らしからぬ大統領の印象をうけた。ケネディは現実認識に対して誠実な感じ。

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最終更新日  2007年07月29日 11時50分44秒
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