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星界の道~航海中!~

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勤行御観念文について(五)

平成10年6月15日号から「勤行御観念文について」が掲載されていましたが、「第五回」の掲載はされないまま、打ち切りになってます。

(以下は、講義テープから起こしたものです。)
★『日目上人および歴代正師御報恩』
南無一閻浮提の御座主、第三祖・新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に   (追記 南無妙法蓮華経 一回)
日道上人・日行上人・日時上人乃至日寛上人・日霑上人等、富士大石寺歴代血脈付法の御正師、
御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に 

【正規】南無一閻浮提の御座主、第三祖・新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に   (追記 南無妙法蓮華経 三回)
南無日道上人・日行上人等御歴代の御正師、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に 

ハイ、日目上人及び歴代正師の御報恩ですね。日目上人こそ、大聖人様・日興上人に仕え奉ることかくのごとくあれかしということをですね、末代の我らに身をもってお示しくだされた方であります。
そして、日目上人の死身弘法の行体、さらに、四十数度に渡る身を捨てての国家諌暁。
この、功績をたたえて、日興上人はですね、ご付属状に日目上人の事を本門寺建立の時の座主と仰せになった。
すなわち、一閻浮提の御座主であります。これは、日興上人が、日目上人に与えられた、その、お立場であります。
よってここに、日目上人の御徳を一言にして申し上げれば、一閻浮提の御座主と言うことであります。
この言葉から、広宣流布の時には、日目上人が必ず座主となって、ご出現あそばすと言うことがですね、宗門に700年来伝えられてきたのであります。
私もこのことを確信しております。
今の宗門は濁乱でありまするけれども、顕正会が本当に御奉公申し上げて、いよいよ広宣流布と言う時においては、宗門がいつまでも濁乱であるわけがありますか。必ずや宗門の中においてですね、本当の信心あるお方が出現されるに違いない。私はその時まで、顕正会において、まず身を捨ててですね、まずつゆ払いの御奉公を申し上げよう、言うことを決意しておるわけであります。
『南無一閻浮提の御座主、第三祖・新田卿阿闍梨』 これは、阿闍梨号をですね、大聖人様が下された、『新田卿』という阿闍梨号を下されたから、『新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳』 そして、並びに、この僧宝と言うことでありますが、別して言うならば、下種の僧宝は日興上人御一人、総じて言うならば、日目上人を総大将としてですね、歴代の貫首上人、大石寺の上人は、総じて言うならば、僧宝にあたられる、言えにここに置いてですね、日道上人・日行上人と申し上げる。
歴代の大石寺の上人、上代の三人をここにあげてですね、日道上人・日行上人・日時上人と三人の上人をあげ奉って、そして、中間において、ことに日寛上人・日霑上人をですね、あげまいらせた。日寛上人が、徳川時代においてですね、広宣流布の中間に御出現せられてですね、大聖人の三大秘法の御儀を全部あきらかにお説きになってくださらなかったら、誰人が大聖人のこの甚深の仏法が理解できようか。
今、顕正会がこうして、御奉公できるのも、実に、日寛上人の御指南があるからですよ。
顕正会がご遺命守護の御奉公に立てた、あの時の、本門戒壇と云う事については、時の貫首の一人掌握するところ、本門戒壇の深義はですね、時の貫首でなければ分からないと言うことが、いわゆる、当たり前のことであったわけでありますよ。
その、貫首の立場の人がですね、池田大作の唆しによって、曲げて行ってしまうんでしょう。
私は、悩みに悩んで、何を基としたか、まず、御書において本門戒壇のことについてのご指南、これをずーと拝読していった。そしてさらに、日寛上人の六巻抄、日寛上人の文段、何回繰り返して拝読したか分からん。拝読だけでは足りず、この顕正会においてですね、1回・2回、三度まで私は講義をいたしました。そして、三度の講義を終えて、もうこれで、時間をかけて講義をすることはもうできなくなったと、いよいよ広宣流布の戦いで忙しくなるということで、三度でもって打ち切ったんですね。2~3年前、3年ぐらい前になりますかね。あれからいよいよ一国広布、広宣流布の出陣を終えてですね、今日に来るわけでありまするが、顕正会がどれほど、日寛上人の御指南によってですね、恩徳を蒙ってるか、そのお陰で今日の顕正会の御奉公があるんだと、思うとですね、どうしても、ここに日寛上人の御報恩謝徳を申し上げられずにはいられない。

つづく


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