|
カテゴリ:顕正会
【本抄御述作の背景】
さて、熱原の大法難もほぼ終息した弘安三年の六月十五日、上野殿は弟の五郎殿と二人して、馬を駆(か)って身延の大聖人のもとに参詣申し上げた。 このとき上野殿二十二歳、五郎殿十六歳。この若き兄弟の溌剌(はつらつ)たる姿をごらんになり、大聖人様はいかに悦(よろこ)ばれ、頼もしく思(おぼ)しめされたでありましょうか。 ところが………そのニケ月後、花が無情の風に散るがごとく、十六歳の五郎殿が急に死去されたのです。 大聖人様のお悲しみはいかばかりであられたか。また最愛の子を失った母の歎きはいかばかりか、さらに弟を失った上野殿の悲しみもいかばかりであったか。 人は「老少不定(ろうしょうふじょう)」であるから、年齢(とし)の順に死ぬものでないことは、理屈では誰もが知っている。また人それぞれに持って生まれた寿命の長短、すなわち「定業(じょうごう)」ということもある。 しかし理論は理論として、また五郎殿がよき臨終をとげたことの有難さは有難さとして、子を失った母の悲しみは深い。 ここに大聖人様は、この悲母の心を思いやらせ給い、大慈悲のお手紙を、幾たびも下されているのです。 その大慈悲の御心を拝し奉れば、ただ涙が出てまいります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月26日 23時23分42秒
コメント(0) | コメントを書く
[顕正会] カテゴリの最新記事
|