まさかげ公山県昌景公馬場信房、内藤昌豊、高坂昌信と共に武田四名臣と言われたひとり 彼の最後の闘いであった長篠の合戦のエピソード。 天正三年(1575) 武田信玄の息子である武田勝頼率いる武田軍1万5千と 織田徳川連合軍4万5千が長篠で対峙していた。 圧倒的な敵と鉄砲に戦況不利とみた山県昌景が一時撤退を進言したところ、 臆病者呼ばわれをされてしまった。 死を覚悟して敵に突撃をかけた昌景軍。 昌景公は途中両腕が使えなくなりながらも、 軍配を口にくわえながら軍を指揮をつづけ勇敢に立ち向かった。 何度も突撃を繰り返し連合軍に立ち向かったが、 最終的には全身に銃弾をあびて最後を遂げた。 本当の話かどうかはわかりませんが、昌景公の勇敢な姿を語り継ぐエピソードのひとつです。 |