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空のむかしばなし

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2008.04.16
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終戦直後に撮影された紫電改

「航空ファン」1974年9月号

近藤若重(高整66期)氏の書簡(昭和55年9月25日)

昭和20年9月10日~15日頃   原隊復帰

      9月15日頃        佐世保人事部へ整備員名簿作製行く

                     電話 ハガキ 連絡

      9月25日頃から     整備始める

      10月10日        私地方では大水害の為3名死亡

                     静岡から出した手紙には15日とあるのは10月10日

                     の誤りです。  5日間の誤差あり

                     初七日の法事後帰る 水害の話を父より聞く

空輸は10月12、13、14日の中台風後天気の良い日であった。

                     空輸後ポリーの腕章を付けて、2、3日残った

                     気もする事から13日が空輸の日であった

                     だらうと私はおもいます。

私等が整備を始めたのは写真の様にプロペラは全機はずされて居りました 四枚ぺラ以外に三枚ぺラ 二枚ペラも数個が並べられてあった.格納庫内の飛行機は全機胴体番号 尾翼の番号は黄色で消されて居たが近くから見れば何号機かと言ふ事はわかった 日の丸の色が其のままで唯なつかしさで一杯であった 性能のよい飛行機を協議の上選び出し ペラを付た もう飛べるぞと話したのを思い出す. 屋根のない格納庫 水たまりを通り1人部品を外しに行った事を思へば 番兵が らいふる銃を片手に持ちガムをかみながら監視のもとに作業をした事を思へば今でもぞっとする

128-129頁写真 2人で写真を取るから並んでくれといふ手まねきをしてくれたが、私は手をふってことわった. 記念写真を取った番兵の姿、顔見おぼえが有ります. 私の後姿がとられて居るとは以外です(近藤です)米国へ私の写真を持ちかへ国賊の様な気がして たえず頭をそむけた 今思えば2人で記念写真を取って居れば思い出になるが当時としてはその気になれなかった 10月4日撮影であるから それより以前から整備は行はれて居た.

胴体に襷がけの帯(黄色)1線は小隊長機 分隊長機は2本です.                                

 

サンタモニカの零戦二二型

                      おまけ






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Last updated  2008.04.19 23:51:25
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