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空のむかしばなし

空のむかしばなし

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2008.07.13
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日本人の忘れもの

 ちょうど2年前の5月連休の初日、私は兵庫県のローカル線を移動していた。JR谷川駅で、福知山線から加古川線に乗り換えなければいけないが、なんと次の列車まで1時間も待たなければいけない。最初はホームをぶらぶらしていたが、なぜかふっと気になって駅舎の方へ行ってみる。するとそこには、駅員と若い女性が、いつまでも噛み合わない会話を繰り返していた。それもそのはず、女性は中国からの研修生で、その時初めて比較的近くに住む兄を訪ねる途中であった。結局のところ、同じ方向へ行く私に彼女押し付けて、駅員の役目は終了。こちらの困惑など、どこ吹く風のようだった。

 外国人にあまり抵抗感のない私は、その駅での1時間と続く車内での40分あまりをお互いの身振り手振りと、少しばかりの(本当は多くの)漢字を駆使しての珍道中がそこから始まった。話によると、お兄さんはJR西脇市駅まで、自転車で30分の距離を、仕事を終えて駆けつけてくるという。「一体、二人は会うことが出来るのだろうか…」だんだん不安がよぎったが、ここは乗りかけた舟、下りることなど出来ない。車中では、彼女の身の上話、仕事のこと、お兄さんのことなどなど、本当にいろいろな話が聞けた。不思議なことに、今思い出してもよくこれだけのことを聞き出せたのが、まったく意外であるが、その時、随時赤いサインペンでメモしたものは今でも大切にとってある。中国の人と接するのは、この時が最初であったから。

  もうすぐ彼女を降ろす西脇市の駅だろうと心の準備はしていたが、1つ手前の駅(新西脇)で感動的な場面に遭遇した。さほど大きくもない、ほんのローカル線の駅のホームには、あふれ返らんばかりの若い男たちが、彼女の到着を出迎えていた。すべて、お兄さんの中国人の同僚たちであった。取るものも取らず、あわてて彼女を列車から降ろしたが、そこには、同行した私へも大歓迎の祝福があふれていた。もちろん、停車時間は短いので、そのまま別れたが、列車に残った私の心には、言い知れない感動が確実に押し寄せてきた。それは、現代の日本人が確実に忘れてしまったものだからである。きっと、いつまでもいい思い出として残ってくれるだろう。お互いに。

 その彼女も、5月中旬には、国へ帰る。

 「ほんとうにながいあいだ、ごくろうさまでした」

 

これは、2004年4月30日(金) 朝日新聞『声』欄(投書)に載ったもの(ローカル線で筆談の思い出)の原文である。紙面の関係で、大幅に書き換えられたため不満だった。

 

大脇さん

   今お元気ですか. 仕事どですが  私は□ □□です 忘れますか. 西脇の駅で会います. 私はお兄さんの会社へ行く道わからない. 大脇さんは私に教えましだ. どうもありがとうございます 

大脇さんいいの日本人です. 私は日本が帰ってもう三年になりましたね. 今まで まだ 仕事ないです. 私の日本語のレベルが低いですから. 遅いの手紙書きます ごめんなさい. 時間があれば 中国へ遊でに来ってください. 返事ください.

□ □□

2007年1月19日

 

中国遼寧省瓦房店市李官鎮○○○村   □ □□   






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Last updated  2008.07.14 03:14:46
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