ゆうべ東京カテドラル(文京区関口)のコンサートに行きました。いくつもの合唱団がグレゴリアン、バロック、ルネサンス、現代の聖歌、キリシタンの聖歌、ロシア、ポーランド、ハンガリー民謡のクリスマスの歌を歌いました。
カテドラルは外観がジェラルミンみたいな感じで、写真で見た内部はコンクリートで寒々しいようでしたが、実際に入ってみると、上の方に向かって壁が斜めに狭くなっていくので、包み込まれているような感じがしました。同時にピラミッドパワーではないけれど、なにか、インスピレーションが降ってきそう。たしか上から見ると十字架の形になっていたと思います。
寒いと聞いていましたが、めいっぱい人がいたので冷えませんでした。残響が合唱には効果的です。
オルガンなど使っている曲もありましたが、ほとんどがアカペラでした。心が洗われる歌の数々でしたが、中でもキリシタンの歌は、キリシタン弾圧の時代に命の危険を冒しながら信仰を守った人たちはどんな気持ちでいたのだろうと思うと涙が出そうでした。
「キリシタン・マリア典礼書写本(野蘇教写経)」をイベリア系楽譜資料をもとに皆川達夫氏が復元した「Memento Salutis Auetor」 と千原英喜氏が資料をもとに作曲した世界初演の「さんた丸や御かんなんの事」でした。
司祭のお話は、『今は暗い時代になっている。この暗さの原因は17世紀に端を発する科学と理性が真実のすべてだとする考えにある。自分に見えることしか真実だと思わない、五木宏之氏のことばを借りれば「神の蝕」ともいうべき現代。キリストは12月生まれではないが、一番暗い冬至に近い時期にクリスマスは祝われるようになった。今、この時期にクリスマスを祝う意味は、これから明るくなっていくようにとの願いをこめることである』というような内容でした。
宗教教育などと言っている、国の教育改革に係わっている人たちが必ずしも畏敬の念や謙遜の美徳を持っているように見受けられないのが心配です。
池田香代子さんがおっしゃっていましたが、明治憲法も民主主義と書いてあったけれど、「法の定めるところ」ということばがあったために、自由と民主主義を縛る法律ができてしまったのだそうです。
同じようなことばのある、先日可決された教育基本法も、これからどんな法律ができるかよく見なくてはいけません。それについて健全な批判精神で分析して国民に知らせるようマスコミにメールを出しました。
都会にはいろいろな催し物があっていいですね。最近私の町でも声明と聖歌のコラボレーションがありました。私は行けなかったのですが、仏教とキリスト教(場所はカトリック教会でした)が歌で融合したそうです。京都にもキリスト教の寺院と縁組をしているお寺があるそうです。地方にしかない福音派みたいに心が狭い教会ばかりではないのですよね。
ローマ法王がイスラム教とキリスト教の神は同じだと明言してくれて嬉しく思います。クリスチャンには常識でも一般の人は知らないでしょうから。ついでにユダヤ教の神とも同じだと言って欲しかったです。(December 20, 2006 19:31:02)