愛と哀しみの果て (1985年・米) ~訃報;シドニー・ポラック監督~
★シドニー・ポラック氏、死去 享年73歳★映画監督であり名脇役としても活躍されたシドニー・ポラック氏が、2008年5月26日に亡くなりました。享年73歳。高校卒業後、俳優を目指してニューヨークへ出たあとハリウッドに渡りテレビ監督に。その後1965年の「いのちの紐」で映画監督デビュー。アカデミー賞9部門にノミネートされた「ひとりぼっちの青春」(1969年)で一躍有名になり、「追憶」「コンドル」「トッツィー」などが大ヒット。1985年の「愛と哀しみの果て」でアカデミー賞の監督賞を受賞されました(同作は他に作品賞などを受賞)。また俳優としても多くの作品に出演。最近ではジョージ・クルーニー主演の「フィクサー」に出演していました。同監督の作品を初めてリアルタイムで劇場で観たのが「愛と哀しみの果て」。その為か個人的には一番印象深いですね。自分は当時高校生でした(もう20数年前なんですよね…)。「愛と哀しみの果て」は1937年に出版されたアイザック・ディネーセンの自伝的小説『アフリカの日々』を原作にした作品です。~STORY~小説家であるカレン(メリル・ストリープ)が、かつて過ごしたアフリカでの日々を思い出す時、夕陽に向かって立つ一人の男の姿が今でも思い出された。彼の名はデニス・ハットン(ロバート・レッドフォード)。彼女がアフリカで出会った、永遠に忘れられない人だった。デンマークに住むカレンは、莫大な財産を持つ独身女性だった。しかし退屈な上流階級の生活に嫌気がさしていたカレンは、同様の考えを持った友人のスウェーデン貴族プロア・ブリクセン男爵(クラウス・マリア・ブランダウアー)と結婚し、カレンが土地を持つアフリカで酷農を営む事となった。先にケニア入りをしていたブロアの後を追ってナイロビに向かう列車に乗り込んだカレンは、象牙を列車に積み込んでいた冒険家のデニス・ハットンと出会う。現地で落ち合ったカレンとブロアは挙式をあげた。しかし農園に着いたカレンは愕然とする。当初計画していた酷農はやめ、コーヒー栽培をすることにブロアが勝手に決めていたのだ。コーヒーの栽培は収穫が4年先になる。二人は激しい口論となる。しかも翌日、ブロアは「雨が降るまで戻らない」と言い残して狩りに出かた。その地で雨が降るのは恐らく数ヶ月後であるにも関わらず…。しかしひとり残されたカレンはそんな苦難の中、コーヒー栽培に精を出す。ある日、草原に出かけた彼女は、ライオンに襲われそうになる。武器を持たない彼女になす術はなかったが、そんな彼女の命を助けたのがたまたま通りかかったデニスだった…。20世紀初頭…上流階級の女性が働くなどという事が考えられなかった時代に、新天地で自らの手で夢を追い求めた女性の物語です。この映画、とにかく映像の美しさに圧倒されました。壮大なアフリカの風景、響き渡るアフリカ人たちの歌声…しかし見た目の美しさとは違い、そこには苦難の道があったのですが…。主人公カレンを演じたのはメリル・ストリープ。上品さのなかに芯をもつ強い女性を好演していました。改めて見るとやっぱり若い!(笑)ロバート・レッドフォードもまだまだ格好良く(あっ、今が格好悪いという訳じゃないです。ちょっと“お直し”しすぎかなぁ…とも思いますが…w。←ファンの方、ごめんなさい!)、メリルと二人のシーンは本当に綺麗でうっとりします。特に川縁でメリルの髪をレッドフォードが洗うシーンは未だに目に焼きついています。でもこの映画で絶対に外せないのが、ジョン・バリーの作曲した美しい音楽。初めて映画のサウンドトラック盤を買ったのがこの映画でした。(当時はLPレコードだったので、盤が傷まないようにカセットテープにダビングして聴いていました。懐かしい思い出です。)様々な苦難が次々と彼女を襲うのに、映画全体の印象が穏やかなイメージなのは、監督の力量とアフリカの景色と美しい音楽が上手く融合されていたからなんでしょうね。印象に残る作品です。 ↓にほんブログ村ランキング参加中! 応援クリック、宜しくお願いします。 ■愛と哀しみの果て OUT OF AFRICA 1985年・アメリカ 監督:シドニー・ポラック愛と哀しみの果て